「よもやま日記」//身の回り出来事や心に浮かんだ独り言、お気に入りのもの、日常の風景を切り取った写真などなど、思いつくままに書いてます。

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2014/11/03 (Mon) 書写山

西の比叡山として名高い、姫路の書写山円教寺。
播磨平定をもくろむ秀吉の前に、三木の別所長冶が突如反旗を翻した際、毛利軍との挟み撃ちを避けるため、黒田官兵衛たちの進言により、ここ書写山に移動して軍陣を張ったと言われている。


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鳥居の脇を横切り山頂へ上がっていく


かつてはトム・クルーズ主演の「ラストサムライ」でもロケ地となり、地元では大変なにぎわいだったらしいが、恥ずかしながら私は今まで一度も行ったことがなかった。
官兵衛ゆかりの地を巡ることが楽しみになってからは、ぜひとも行っておかなければと思っていた場所だった。


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かなり鬱蒼とした山道(西坂)


自宅からも近いし、昼からで十分だろうとたかをくくっていったのが間違えだった。
ナビの設定を誤り、着いたところはロープウェイの乗り場とは程遠い山の西側で、そこからどうやって上がるのか分からず、右往左往した挙句、歩いて登ることに。

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磨尼殿(まにでん)


30分くらいで登れると聞いたが、これが急なこと!
何度かくじけそうになりながらやっと上へ上がったけれど、これがあまりに広くてびっくりした。
今度は下って行った先に建物がありそうだ。
「下るのはありがたいが、帰りはまた登らないといけないってこと?」
ちょっと躊躇したけど、本堂を目指すことにした。


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磨尼殿(まにでん)の屋根


ほどなく、本堂の磨尼殿(まにでん)に到着。
立派な造りの建物が聳えるように建っている。
近くには茶店もあってなかなかの賑わいだった。
あたりは少しだけ紅葉が始まっている。


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少しだけ楓が色づいていた


よくロケで出てくる大講堂までもう少し足を延ばしたかったけど、どちらへ行っていいのか分からず、日も暮れてきそうだったので諦めて降りることに。
ガサガサと音がしたので振り返ってみると、何と、野生の鹿が遠巻きに私たちを見ていた。
身体が小さく、もしかしたら兄弟かも知れない。
思わぬ出会いに、ちょっとほっこりしながら山を下りていくと、空には白い月がでていた。

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西坂から見た月

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2014/10/13 (Mon) 播磨の雄、三木城

秀吉の軍師、竹中半兵衛、黒田官兵衛が揃って参加した戦いの舞台、三木城址公園へ行ってきた。
大河ドラマにどっぷりハマったのは、自分が住む地元播磨を舞台にして歴史が動いていたことにワクワクとした面白さを感じたことがきっかけだった。
天下統一を目論む織田信長が、西の毛利攻略のために羽柴秀吉を差し向けた。
毛利を落とすためには、まず播磨を平定しなければならない。
その播磨平定の一番の正念場となったのが、三木合戦。いわゆる「三木の干殺し」だ。


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鄙びた雰囲気の三木上の丸駅


JR加古川駅で加古川線に乗り換え、粟生駅まで。さらに神戸電鉄に乗り継いだ。
しかし、電車で行こうとしたのが間違えだった。3分間の接続で乗り継ぎの失敗し、途中1時間もロスしてしまった。
単線ワンマンの超ローカル線。1時間に1本しか電車がないとは…(笑)。
でも、途中では田園風景を楽しむことができた。ここを官兵衛たちが駆けまわったのだろうか。
そんな想像をするとコトコト電車に揺られる道中は心楽しい。
そして、ようやく最寄駅の「三木上の丸駅」へ到着。

駅から少し歩くと、ナメラ商店街がある。かつて秀吉がこの辺りに武家屋敷を築いたらしい。
休みだというに人通りが少なく、ほとんどシャッター商店街になっていた。
地方創生もなかなか大変やなあ、石破大臣も課題山積だわ…などと思いながら通り過ぎると2,3分ほどで三木城祉公園に到着した。

時折人とすれ違うものの、静かな印象。
ところが、本丸跡に到着するやにぎやかな話声がする。それはガイドさんが一生懸命解説をしている声だった。
このガイドさんの歴史の知識には驚いた。三木合戦にとどまらず、歴代室町幕府の執権の名前や、天皇の名前、歴史的な出来事が起こった年号などがまるでコンピュータのように詰まっている。
立て板に水のような解説に、こっちはついていけないほどだった(笑)。


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三木合戦 配陣図


かつて赤松氏が三木を中心に、播磨から摂津まで勢力圏におさめていたらしい。
そして、三木合戦の頃には、勢力が弱まったものの、別所氏が三木城に居城していた。
強固な城を攻めるのは難しいことから、竹中半兵衛、黒田官兵衛が進言したのは、兵糧を断つということだった。

1年8か月に渡って持ちこたえたが、秀吉軍は三木城を取り囲むように付城を築き、周辺の城を落としていく。
その途中で、荒木村重が持ち場を離れ、摂津の有岡城へ戻って籠城し、説得に向かった官兵衛が1年間幽閉されるという事件が起こる。また、名高い軍師であった竹中半兵衛が戦の途中で、この三木の地で息を引き取るのである。

やがて三木城は兵糧が尽き、多くの家臣が飢えで死んでいった。
助け出された官兵衛が前線に戻た頃に、城主、別所長冶と一族は家臣と領民の命と引き換えに自刃して果て、ここに播磨は平定される。

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三木城址から見た城下


天守閣跡に立ち、城下を見下ろすと緩やかに美嚢川(みのうがわ)が流れている。
美嚢川は加古川の支流で、三木城を守る自然の要塞となっていた。
ガイドさんの話によると兵糧攻めの際には、本願寺信徒が竹に米を詰めてこの川に流し、兵糧を届けていたらしい。

三木城を落とした秀吉は播磨平定を果たし、中国へ進出していく。
その途中、高松城攻めの最中に、本能寺の変が起こり、中国大返し、山崎の合戦へと事態は急転直下、秀吉の天下取りへと進んでいく。
思えば三木合戦は歴史の大きなターニングポイントとなった。

かつて凄惨な城攻めが行われたとは思えない、静かな佇まいだった。

実は竹中半兵衛のお墓にも行きたかったのだが、かなり遠いと聞いて断念。
ガイドさんが親切にも車に載せてくれると言ってくれたが、流石にそこまで甘えるわけにもいかず丁重に辞退して三木城を後にした。
かつて播磨で一番大きな合戦が行われたこの地は、今は静かに秋の実りの時を迎えようとしていた。



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2014/09/28 (Sun) 備中高松城

念願の備中高松城へ行ってきた。
岡山駅から吉備線に乗り換えて5駅ほどで「備中高松」へ到着。そこから高松城址公園までは徒歩10分ほど。
綺麗な秋日和で刈り取りを待つ稲穂が美しい。
途中幟が立っていて一本道なので分かりやすかった。

高松城は建物はなく遺構があるのみ。
整備されて本丸、二の丸、三の丸跡が残されている。

公園内の大きな池には蓮がびっしり植えられていた。看板によると昭和57年に岡山市が歴史公園造成計画により沼の復元をしたのだという。
古来、本丸と二の丸の間に沼があったそうで、水を張ると地中にあった種が自然に発芽したのだという。
400年の時を経てよみがえった蓮は、歴史ロマンとして城主清水宗治公の遺徳を偲ばせている。


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宗治蓮


清水宗治の居城、高松城は秀吉軍の毛利攻めに際して東の砦にあたる。
毛利への義理のために調略に一切応じず、城に立てこもり、最後は家臣を守るために切腹した。


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清水宗治の辞世の石碑(高松城址内にある首塚脇に設置)

「浮世をば今こそ渡れ武士(もののふ)の名を高松の苔に残して」

本丸には清水宗治の首塚が残っており、辞世を刻んだ石碑があり、思わす手を合わせた。


高松城址公園のすぐ横には、清水宗治自刃の跡地があり、立派な塔が立っている。
清水宗治は水責めにより水没したところに舟を浮かべ、舞を舞った後に自刃したと伝えられている。
その最後を見届けた秀吉は「日の本一の武将」と湛えたと言われている。

そこから10メートルくらい南側には、家臣が宗治の後を追って刺し違えたという場所も大切に守られていた。

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清水宗治自刃の址


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こうやぶ遺跡


公園内外のあちこちに配陣図や、秀吉の本陣から眺めた高松城の絵図があり、当時を想像することができる。
さらに、蜂須賀小六や黒田官兵衛の陣が連なっている。
また、毛利軍の吉川や小早川などが陣を構えて緊迫した雰囲気が伝わってくる。
秀吉が陣を構えたという石井山に近づこうと歩いていくと、偶然に太閤岩への登り口があっていってみることにした。


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石井山から見た高松城(想像図)


草木が生い茂る山道を分け入って行くと、少し広がった場所がありその奥に一層細い道が続いている。
狭いし暗いし人気もない。
ということで、ここで先へ進むことを断念。
せっかく黒田官兵衛で盛り上がっているというのに、もうちょっと整備してくれたらいいのになあ。


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太閤岩入口


更に歩いて行くと、水攻めの際に川の水をせき止めるために作られた堤の跡(蛙が鼻築堤跡)があった。
平成10年の発掘調査で、杭や石、米俵の跡などが出土したそうだ。
戦国時代の武将たちの戦いを今に伝える貴重な史跡だ。

あちこち歩き回ってたっぷり3時間くらい。秋の備前備中の田園風景を楽しみながらいい一日だった。

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高松城の戦い 配陣図と水没地域


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2014/09/13 (Sat) たんぼ


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9月に入り、黄色くなった稲穂が頭を垂れ始めた。
家の近くの小さなお宮さんを撮ってみまた。


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近寄ってみると、あぜ道の脇に小さな白い花が。
つつましく咲いている様子がとても可憐だった。

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2014/09/10 (Wed) 菊の手ぬぐい

9月に入り朝晩めっきりと涼しくなってきた。9月9日は重陽の節句。
中国では「9」という数字が大変縁起のいい数字でそれが重なるのでおめでたい日とされているとか。

新暦では菊の時期にはまだ早いけれど、菊の模様の手ぬぐいを集めてみた。


まずは一昨年もブログに掲載した、かまわぬの「菊日和」
穏やかな秋の庭を思い起こさせる優しい色合いが魅力。
色合いが綺麗なのでもっぱらタペストリーにして楽しんでいる。


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かまわぬ「菊日和」


次は、菊花をびっしり敷き詰めたような「菊」
初めは地味なので買うのを見送っていたが、いざ手にしてみると、色合いがシンプルでとても使いやすい。
普段使いでこの季節はとても重宝している。


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かまわぬ「菊」


今年購入した「大菊づくし」。
大輪の菊が大胆な構図で描かれている。エンジ色色というものとてもいい感じ。
普段使いにしてもいいし、タペストリーにしても面白そうだ。


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かまわぬ「大菊づくし」



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2014/08/30 (Sat) つくつく法師

ここ数年、私の家の周りで鳴くつくつく法師が少なくなってきた気がする。
今年もなかなか鳴き声が聞こえなくて、「どうしたんかなあ」「温暖化でいなくなった?」と気になっていた。

子どもの頃は、高校野球が後半戦になり、つくつく法師の鳴き声が聞こえてくると、
「ああ、夏休みも終わりやなー」と、少し寂しい気持ちになったものだった。

関西はクマ蝉が優勢で、梅雨明け頃から一斉に鳴くそのやかましい鳴き声はあるいみ壮観でもある。
それがお盆を過ぎたころから、つくつく法師が次第に優勢になっていった。
夏の終わに鳴くつくつく法師はリズミカルでユーモラスであり、涼しげにも聞こえる。
秋の訪れを告げる鳴き声だった。

それがある時、つくつく法師が鳴いた!

おお~。元気でいたのか!

古い友達に出会ったみたいに、なんだかとても嬉しくなった。
数はあまり多くないものの、確かにつくつく法師は生き延びているみたいだ。
つくつく法師がんばれ。

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2014/08/08 (Fri) 朝日新聞の卑怯な虚偽訂正記事

8月5日から6日にかけて、朝日新聞が「従軍慰安婦について日本軍の強制連行があったとする吉田清治氏の証言、いわゆる吉田証言について虚偽であったことを発表した。

しかし、虚偽報道を認めたことよりも、32年間真実を無視し続けてきた罪の重さを問わねばならない。
実に32年間にわたり、虚偽の証言から国際的に日本人に泥を塗り続け、朝鮮・韓国を利する報道を繰り返してきた。
まさに売国新聞ではないか。

しかしながら、膨大な言い訳記事の中で、誤りについてはわずかで、しかも謝罪がまったくない。
さらには、これまで同紙が繰り返してきた、「慰安婦は日本軍が強制的に連行したものだ」という最大の焦点を、重要なのは「日本軍の関与があったこと、現に慰安婦が非人道的立場に置かれていたことだ」という「論点のすり替え」を行おうという、その姑息で卑劣な報道態度だ

また同時に、従軍慰安婦について他紙も報道していた旨の責任転嫁に至ってはもはや救いようがない。
32年前にこの記事を書いた植村隆記者の妻は韓国人で、しかもその母は元慰安婦の裁判支援をした団体の幹部だったことが読売新聞により暴かれているという。そして、朝日はこの植村記者を弁護した。

かような新聞が、「報道の自由」を振りかざし、特定秘密法案の際には「やれ一般市民が逮捕される」の、「映画が当局によって簡単に差し止められるようになる」だの、とうてい起こり得ない危機を煽り、幼稚で左翼的報道を繰り返していた。
一市民の感情論かも知れないが、このように有害で一方的情報しな報道しない朝日新聞には言論の自由を主張する資格などない。
公正な報道をするいう役目を果たさず、「有害な情報を垂れ流す権利」を主張するとは最悪のメディアである。

今後、賢明なる国民の厳しい目によって淘汰されることを切に願う。

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2014/07/31 (Thu) 夏は手ぬぐいが大活躍

暑い夏は手ぬぐいが大活躍する。
私はかばんに2枚の手ぬぐいを入れていて、1枚は手を拭くために使い、もう1枚は汗拭き用にしている。
汗拭き用は時には日よけやストールとして使ったりもする。

汗拭き用はその日にお風呂で洗濯。

翌日は、前日に手を拭いていたものを汗拭き用に使って、新しい手ぬぐいを1枚かばんに入れる……というのを繰り返している。

吸水がよく、渇きが早いのでこの時期手ぬぐいは手放せない。


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2014/07/27 (Sun) 上賀茂神社 夏のお茶会(途中)

先月退職したお茶先生のMちゃんと、新先生のHさんが京都上賀茂神社でお茶会をするという。
世界遺産でお茶会とは!?
とちょっとびっくりしたが、若手アーチストの展示会とコラボして開く気軽なお茶会だと聞いて、先日買った浴衣を再び着て出かけて行った。

私の勤める会社には茶室があって、裏千家で専門の勉強をした社員がお点前を行っている。
社員を対象にしたお茶の勉強会を企画したり、地域住民を対象にしたフェスタでお茶会を開いたり、
会社にお茶室があることをきっかけに茶道に親しむ機会が増えた。
私自身の腕前はサッパリだが、お茶を通じて趣味が広がったのは嬉しいことだ。


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梅雨明け10日というが、この夏一番といっていい暑さ。
夏の京都の蒸し暑いこと。

京都駅には外国人が多くいて、ほとんど上半身裸といっていいような姿で歩いている。
みんなバテバテな顔だ。(笑)

綿紅梅という生地の浴衣は、非常に薄くて風が吹けばとても涼しい。
なるほど、よく工夫したものだなと感心した。

行き交う人に涼しげな風情を届けようとの気概で出かけていったのだが、すれ違う外国人の目はうつろだった。


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上賀茂神社へは市バスで行くのがよさそうだったが、バスには乗りたくなかったので、とりあえず四条河原町まで地下鉄で出て、そぞろ歩くことにした。
寺町通りを歩いていると、大河ドラマ黒田官兵衛の題字を書いた書家の展示会に出くわした。

自筆の題字を拝んだ跡、さらに歩くと、今度は本能寺があるではないか。
ここは、秀吉によって再建されたものだという。
ちょうど大河ドラマでは本能寺の変をやったばかりで、寺では信長展をやっていた。


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それを見てから、再び歩くと「一保堂」が。白い暖簾にゆうらりと誘われて中へ入った。
ここは茶葉を販売しているだけでなく喫茶コーナーでお茶を飲むことができる。
喉が渇いたていたので、水出しの玄米茶をいただいた。
甘さが際立って、つるんと喉を通っていく。


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そこから骨董品屋さんなどを覗きながら歩いていたが、歩き疲れたので最後はタクシーのお世話になった。
上賀茂神社に着くと、早くも着物の女性がいて楽しげな笑い声が聞こえている。
お寺の中でお茶をいただくのかと思ったら、野点だったのでびっくり。

お棗にガラスのシュガーポットを使ったり、手作り感覚の素朴で楽しいお茶会だった。
早速席につき、みずみずしい笹の葉でつつまれた笹餅と薄茶をいただいた。
しばらくぶりでMちゃん、Hさんと再会し、集まった職場の仲間を初め他の客とも談笑するという和やかな雰囲気がよかった。さらにはMちゃんのお母様まで駆けつけて受付を手伝われていた。
こんなお茶会もあるのだと、目からウロコだった。


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お茶席のすぐわきに小川が流れていて、子供たちが歓声を上げながら水遊びをしていた。
軽装で着ていた人が子供に交じって水遊びに加わる。
その時ばかりは、洋服組が羨ましかった(笑)。
冷たくて気持ちよさそうだったので、手をつけてみたら、結構ぬるかった。(笑)

お茶会は夜まで続き、日が暮れると灯篭に火をともすのだとか。
ようやく日が暮れて、少し涼しくなり、いい雰囲気になってきたが、帰りのことを考えて帰ることにした。

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2014/07/18 (Fri) 手ぬぐい好きが父に伝染

私がずっと手ぬぐいを持ち歩いているのを見ていた父が、「欲しい」と言い出した。
それで手洗いしなくても比較的色落ちしにくい、SO・SOの手ぬぐいとか、を2つあげたりしていたのだが、
どうやら手ぬぐいというやつは、一つ手に入れると、違う柄が欲しくなるものらしい。

今年の父の日には張正さんの豆絞りをプレゼント。
そして、7月のお誕生には、芋焼酎と桃の絵柄の手ぬぐいをプレゼントした。
桃の手ぬぐいにしたのは、縁起がいい柄らしいのと、えらくかわいいピンク色の手ぬぐいを父が持ったら面白いだろうなという悪戯心からだ。

以来、毎日とっかえひっかえ、首に巻いたり、ねじり鉢巻きにしたりして使っているみたいだ。

それにしても、以前何度か、「それどうやって使うの」などと聞かれたときに、実は自分も使ってみたかったのだなと思うと、ちょっと可愛くなった。

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2014/07/17 (Thu) すずめの水浴び

梅雨明け目前の暑い日のこと。
午後から神戸市内のデザイン会社へ出かけて行った。

少し早めに出かけたため30分くらい時間調整が必要だった。
少しでも先方の事務所の近くへと思い、歩いて行くと、付近に身を寄せる場所が見当たらない。

あまり早くにお邪魔してもなんだし、ここで突っ立ってるわけにもいかないし……
どうしよう? と困っていたら、デザイン会社お隣りに喫茶店があるではないか。
そんなこんなで、何とか避難場所を見つけて時間をつぶして、汗を引かせることができた。

「営業マンの人はこんな暑いさなかに町へ営業に出て尊敬するなあ。」
そんなことを思いながら、また暑い中とんぼ返り。
会社に戻ってくると、正面玄関にあるちょっとした水場にすずめがきていた。
黒い御影石にちょうどすずめが歩けるくらい、浅く水が張ってある。
そこを我がもの顔で、気持ちよさそうに水浴びしているではないか。

あまりにも可愛かったので思わずスマホを探って、パチリ。
なんだか、こちらまで涼しい気分になった。

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2014/07/15 (Tue) 新車のように

玉突き事故でドック入りしていた愛車ニコちゃんが帰ってきた。
正確には修理工場へ取りに行ったのだが、対面した時はびっくり。

まるで新車みたい!

説明も丁寧だった。
車軸のゆがみがどれだけあって、どこをどのように修理したかをひとつひとつ説明してくれた。
見かけの損傷の割には足回りは大丈夫だったようだ。


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車軸部分は新品の部品に入れ替えてもらい、ガラスなどは既存のものを生かしたとのこと。
塗装もすべて綺麗にしてもらって、ピカピカの新品のようになっていた。

あと5年は乗ろうと思っていたけど、10年は乗れそうな感じだ。
おかえり、ニコちゃん。これからもよろしくね。

my car 20140722_01 (4) 8

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2014/07/13 (Sun) 浴衣de京都

浴衣で京都へ行くという日、朝から激しい雨
……マジ!?
梅雨明け前の最後の雨のようだ。
汗をかきながらもどうにか浴衣を着て、呉服屋さんで教えてもらったとおり帯も結ぶことが出来たが、「この雨かいな……。」

それでも、少し待つと小ぶりになったので気を取り直して出かけていった。

予約したお店は三条の鴨川から少し東あたり。
東海道の最終地点である三条大橋を渡り、京阪三条へ歩く。
このあたりは、おしゃれな新しいお店が立ち並んでいていい雰囲気だった。

20140713_京都浴衣ランチ (12) v2

選らんだメニューはランチコースで、前菜やメイン、デザートチョイスすることができる。
牛のほほ肉のソテーやら白身魚のソテーなど思い思いに選んでランチを楽しんだ。

主役の二人はそれぞれ、会社を辞めてドイツやオーストラリアに旅立つことになっている。
今後の計画など聞きながら、別れを惜しみ、みんなで激励した。
最後のデザートは1つのプレートに盛り付けられ、メッセージを書き入れてくれていた。


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食事が終わって、辺りをそぞろ歩き。
舞妓さん、芸子さんの置屋らしき家が立ち並んだ一角があった。
昔ながらの町屋の雰囲気だ。


20140713_京都浴衣ランチ (14)30

やがて川辺にやってきた。
家並みの間をながれる小さな川がとてもいい雰囲気。
まわりの家は、隠れ家的な高級そうな料理屋が多かった。


20140713_京都浴衣ランチ (20) s


やがて四条河原町へ到着。
祇園祭を控えて、提灯の飾りつけや、お囃子のBGMが流れている。
外国人客も多くて、浴衣を着た私たちは1人の白人観光客に「プリティ」と絶賛してもらった。
しかし、慣れない浴衣を着て一日過ごしていると、体はバキバキで疲れがピークに。
「もたれたい」「早く脱ぎたい」というわけで、翌日の仕事も考えて、お茶もせずに帰ることにした。



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2014/07/10 (Thu) 浴衣

元茶道部のメンバー2名が退職することになった。
それで、昨年、浴衣で川床へ行ってきたメンバーを中心に、再び京都へ行こうということになった。

昨年、インターネットで浴衣を作ったつもりだったが、出来上がってみると「分厚い!」浴衣のつもりが、実は一重の綿の着物だった。
盛夏には厳しくて、一枚浴衣を買おうかとインターネットを見てみると、LサイズとかLLサイズの浴衣もちらほら。
自分のサイズと見比べて、柄などを選ばなければ買えるものもありそうだ。

ポチっとクリックする手が止まる……。
どうしよう。買おうか買うまいか。

そんな時に、ふらっと立ち寄った百貨店で浴衣フェアが目に留まった。
ちょっと見てみるか……。

切羽詰まった目をしたいたのだろうか。すぐに店員さんに声を掛けられた。
好みの色合いや柄などを聞かれて、さっと手に取った浴衣を着せてくれると、サイズはちょうど。
おはしょりも十分取れているし、裄も申し分ない。
「これでMサイズです。」

驚きだった。身長167cm。体重〇●kgの私がMサイズでいいとは。

私は、白地に紺か紺地に白の伝統的な浴衣をイメージしていたのだが、店員さんはピンクとは斬新なものを勧めてくる。
確かに、ピンクも綺麗だが、ちょっと可愛すぎる。

じゃあこれは?

と勧められたのは明るいブルーに白い鬼灯柄。実の部分はほんのりピンク色だ。
畳んであるのを見てもピンとこなかったが、羽織らせてもらうと、なかなか素敵。

それで、気に入って購入することにした。
閉店間際の駆け込みの買い物だった。

自分では絶対に選ばなかった柄だ。
でも着物の場合は誰かに見てもらうのがいいのかも知れない。

支払いをしながら、京都行きが決まってから、家で帯結びに苦戦していることを告白すると、「教えてあげるからよかった店に寄ってくれ」と店員さんが言ってくれた。

京都へ行く前の日に帯を持ってお店に顔を出すと、その店員さんが、ささっと教えてくれた。
店では地元の花火大会当日に着付のサービスもしているとか。
最近は着物を売るだけでなく、多くの人に着てもらうため、あれやこれやと痒いところに手が届くサービスをしているみたいだ。

百貨店の呉服コーナーは敷居が高かったけど、とても親切でありがたかった。
臆せずに飛び込んでみたら、着物が身近になるかも知れない。

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2014/07/03 (Thu) すべての国に与えられた「固有の権利」

このほど、ようやく集団的自衛権憲法解釈の閣議決定がまとまった。

例によって左傾化マスコミはこぞって大反対。
その中でも、「日本は戦争する国になる」的論調には辟易だ。

そもそも、「集団的自衛権」という概念は、日本以外の国にはない。
「自衛権」があるのみだ。
日本が集団的自衛権を切り離して考えるのは、憲法9条の存在があるからだ。

そもそも現在の憲法は、日本を二度と自分たちの脅威にならないよう弱体化するために占領軍に押し付けられたものだ。
ところが、朝鮮戦争が起こると前言撤回とばかりに警察予備隊を作らせた。
そして、自衛のための戦力はOK(合憲)とした。
随分と虫のイイ勝手な話だが、そのおかげで自衛のための戦力を持つことが出来たわけだ。

そもそも、自衛権はすべての国に認められている。
自衛権には個別的自衛権も集団的自衛権の区別はない。
国連に加盟している国で自衛権の中の一部しか持てないといっているのは日本だけなのだ。
自衛のための戦力が認められた時点で憲法は9条を改正しなければならなかった。

平和は、戦力の均衡によって保たれる。
「やってみろ、お前もただでは済まないぞ。」それが抑止力だ。
決して平和憲法が守っているわけではない。

日本はアメリカの核の傘に守られてきただけに過ぎない。
普通の独立国家なら、当然自分で自分を守らなければいけないところを、憲法と日米安保を盾にして、その現実から目をそむけ、怠慢を続けていた日本は極めて危険な状況にある。

アメリカは「アジアへのピボット」を主張しながら、実は財政悪化のために徐々にこの地域から手を引こうとしている
もはや日本を守ろうとしないアメリカを頼っているわけにはいかなくなってきている。

なぜ、今この議論をしなければならないのか?
と反対派は言う。
冗談じゃない。今だからこそやらなければいけないのだ。
憲法改正まで待っている時間があるわけはない。

安倍総理はその重要性をよく知っているから急いだのだ。
集団的自衛権の考え方について、戦争するためでなはないことは安倍総理が十分説明しているが、マスコミ各社はわざわざ捻じ曲げ、手を変え品を変え……、中韓の援護射撃にいそしんでいる。まったくもって日本のマスコミではない。

ついでに言うと、集団的自衛権に異を唱えヒステリックに叫んでいるのは、中国と韓国と日本のマスコミのみ
その他の国はすべて歓迎しているのだ。
だから日本のマスコミは中国や韓国の情報戦という工作に加担し、共産勢力、中核派など反日勢力を守護していると言われても仕方がない。

一方、安倍総理の示された15事案というのには反対だ。
どこの国に、「この時は反撃します。」「この場合は攻撃しません」と、わざわざ教えてやる馬鹿がいるのだ。
敵はその隙間を攻めてくるに決まっているではないか。

反対派が叫ぶ、「自衛隊が血を流す可能性」、「他国の人の命を奪う可能性」についてだが、集団的自衛権を認めたから血流れるというのはどうだろう。
平和ボケに浸ってきた国民の感情論に訴えようとする姑息な議論と言える。
むしろ認めない方が、自衛隊だけでなく国民の命が奪われる可能性が高まるのではないのか

今後、関連する法律の改正では、野党とマスコミの妨害が予想されるが、ぜひ安倍政権には踏みとどまってもらいたい。

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2014/06/29 (Sun) 河野談話の真実

6月20日に政府が進めてきた河野談話の検証結果が発表された。
安倍総理は、「河野談話の見直しは行わない。」と明言したものの、検証は進められていた。
何故だろう? 見直さないけど真実を明らかにするとう絡めてに出たのか? などとといぶかったものだ。

その検証が発表されたが、同じタイミングで東京都議会の塩村議員に対するセクハラ野次問題がマスコミを賑わせたことで、検証結果についての報道は掻き消された。検証結果を発表されたらまずい勢力による工作活動ではないかとの見方が流れたが、あながち間違えではないだろう。
彼女が実は都議会議員の資質を疑われるような経歴の持ち主だったことも粗末の限りだった。

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話を河野談話に戻し……
この件に関しての6/25関西テレビ「ニュースアンカー」の青山氏の解説が秀逸だった。

それにしても、私はこれまで、「河野談話」のことを誤解していた。
日本政府が、韓国の要望を聞いて、愚かにも、強制連行と日本の責任を認めたのだと思っていた。

実は、そもそも河野談話に強制連行の事実は書かれていない。

談話発表後の記者会見で、「強制性を認めるのか」という質問に、河野洋平氏が「Yes」と言ってしまった
この会見での受け答えが、河野談話として独り歩きしているものだという。

なんたることか……。

もう一つ意外だったのは、実は今回の河野談話の検証というのは、歴史的事実関係の検証でなく談話が作られた過程を検証するものだった。

その報告書全文がこれ(URLをコピーして新規ページで開いてください)
http://www.mofa.go.jp/files/000042173.pdf#search='%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6%E5%95%8F%E9%A1%8C%E3%82%92%E5%B7%A1%E3%82%8B%E6%97%A5%E9%9F%93%E9%96%93%E3%81%AE%E3%82%84%E3%82%8A%E3%81%A8%E3%82%8A%E3%81%AE%E7%B5%8C%E7%B7%AF+%EF%BD%9E%E6%B2%B3%E9%87%8E%E8%AB%87%E8%A9%B1%E4%BD%9C%E6%88%90%E3%81%8B%E3%82%89%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A2%E5%A5%B3%E6%80%A7%E5%9F%BA%E9%87%91%E3%81%BE%E3%81%A7%EF%BD%9E'

河野談話作成の過程で、何度も韓国側から「強制連行があったということにしてほしい」との要望がされ、日本側は一定の表現上の譲歩を見せても、韓国側は「それでは韓国の世論が納得しない」と承服せず……、「表現をこう変えてくれ」……「この言葉を入れて」……といったやりとりが繰り返されたことが延々と書かれている。
先ごろ国会で証言した石原元官房副長官が、「慰安婦全体について「強制性」があったとは絶対に言えない」という発言があったことも報じられている。

img13238_140625-10osawagi.jpg

結局、日本側がある程度歩み寄って、日韓合作によりまとめられた「河野談話」以下のような文章となった。
日本軍の「関与」が述べられているが、強制連行されたという文言は一つもない
むしろそれをやったのは、業者であると言っている。

「慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。」

この「関与」の内容は、今回の報告書にまとめられている。
「慰安所の設置」,「慰安婦の募集に当たる者の取締り」,「慰安施設の築造・増強」,「慰安所の経営・監督」,「慰安所・慰安婦の衛生管理」,「慰安所関係者への身分証明書等の発給」等
つまりは、無理やり慰安婦を連れてきたということはなく、日本軍はむしろ業者が不法な募集をしないよう取り締まりや、公共衛生、福利厚生に関することに関与していた。

また、河野談話本体で、慰安婦募集に加わった「官憲」というのは警察官で、当時の警察官は韓国人であったとか。

img13241_140625-13mitomezu.jpg

河野談話を取りまとめた当時の政府役人は、韓国に譲歩しながらもギリギリのところで、日本を貶めることはしなかった。
それなのに、いとも簡単に会見で不用意な受け答えをした、河野洋平氏の責任は重い。

今回の検証では、河野談話そものは見直さずして、朴政権の動きを封じるためのカウンターパンチを繰り出したものだった。
安倍総理が河野談話継承を唱えた時は、かなり失望したが、「よくぞ手を打ってくれた!」と安倍総理、菅官房長官、その他関係者の方々に拍手を送りたい。

外交オンチの日本にしては、かなり高等な反撃だと感心し。
しかし、これにはアメリカ側のアドバイスもあったとか。。

アンカーでは、このほかにも
アメリカ オバマ大統領の意向があったことや
アジア基金設立のいきさつと、慰安婦を生み出したのは娘を売らなければならなかった貧困問題があったこと。
韓国の反日宣伝として利用している、日本軍の性的虐待を含めた蛮行を伝える「独立記念館」にも触れている。
もちろんそこで展示されていることはすべて嘘であることは言うまでもない。

関西テレビニュースアンカー水曜日は、良心や矜持をもつマスコミがあることを示す数少ない番組だと思う。
この番組が続くことを切に願うとともに、検証チームの功績をたたえたい。


※6/25アンカーの書き起こしは、「こちらのぼやきくっくりさんのサイト」で見ることが出来ます。
今回番組の画像もこちらのサイトから借用させていただきました。



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2014/06/28 (Sat) 「玉突き」その後

「ムチ打ちは、3日後にやってくる!」

複数の人からそう言われたものの、3日たっても、1週間たっても……首は問題なし。
「それだけ車が壊れてるのに、ホンマ大丈夫なん?」
丈夫な首でよかったなあ。」って、ほっといてくれ!(笑)

「修理」か「買い替え」かで思案する日々が続いた。
ネットで調べると、まさに私と同じようなケースで憤る声がわんさか出てくる。
100対0であっても、相手の保険でカバーできない金額は本人が負担しなければいけないケースが多いらしい。

何とか保険会社から多くを引き出す手はないものか……。

・買い替えることにして、取得税などの付帯費用を交渉すること。
・事故車になったことによる評価損部分を請求すること。
・会社を休んだことによる補償を請求すること。

これくらいしかないらしい。

病院に駆け込んで、人身事故にしたるでー。(笑)
……って、お金が絡むとこうや。(笑)

実際に、「通院期間に応じて慰謝料が出るから、あっちが痛い、こっちが痛いと言って通い続けろ。」
「通院にはタクシーを使え。」
といったアドバイスもあった。

中古車を買うしかないのか……と思いかけていたときに、修理会社に交渉すると、修理費が安くなると聞く。
そして、相手の保険金額の範囲内までに下がってきた。
しかし、安くなったらなったで、 ホンマに大丈夫なん? と不安になる。

知り合いにも相談すると、買い替えを勧める人が多かった。
修理会社の説明を何度も確認。
ようやく「修理」に決めた。

修理会社の説明はだいたい以下のようなことだった。
・足回りの部品はすべて新品を使う。
・修理によって車の強度が落ちることはない。
・強度と関係のない部分はリサイクル部品を使うことで価格を下げる。


それに対して、
・元々転売は考えていないこと。
・あと5年は乗ろうと思っていること。
・事故車でなくても、買い替えの場合の下取りは二束三文だろう。

ということで、たどり着いた結論だ。

持ち出しなしで修理ができることになり、ホッとした。
一方、身体の方はまったく問題なかったけど、「一度は病院へ行くべき」ということで、保険会社に費用負担が可能かを確認して診察・検査を受けた。

その矢先に、玉突きの一番先頭の方が警察に診断書が提出され、人身事故扱いとなった。

警察から電話がかかってきて、現場検証に呼び出された。
急きょ、午後休みをもらって事故現場へ駆けつけた。
初めて調書というものもとった。

事故の加害者となった一番後ろの方と再会。
被害者と加害者という立場はたまたまであって、相手の方には同情を禁じ得ない。

とにもかくにも、玉突き騒動は幕引きとなった。

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2014/06/20 (Fri) 3台玉突き

car accident

6月の初めの通勤途中に、車3台の玉突き事故に遭った。
私の前の車が、横道に右折しようと停車していた。私は、アクセルを緩め、ブレーキをやんわり踏んだ。

事故が起こったのはその瞬間だった。
ガシャーン!! と大きな衝撃。
後ろからの車に追突された。
足がブレーキから離れて私も前の車に当たってしまった。
前との距離が少しあったので、ブレーキを緩めたのかも知れない。
ブレーキを強く踏みなおそうとしたが、アクセルと踏み間違ったらいけないと短い瞬間にグルグル考えたのだけはよく覚えている。

車を寄せようとしたら、ガリガリと凄い音がした。
何とか道の端に車を寄せたものの、はて、どうすればいい?。
まず察を呼ぶ? 保険会社に電話?
初めてのことで、どうしたらいいか分からない。

後ろの車の運転手が誤ってこられた。警察は既に呼んだという。
私もようやく落ち着いて、上司と自宅に連絡し、保険会社に一報を入れた。

警察が来て、全員の免許証と自賠責保険を確認した。
それぞれから事情を聴いて、けが人がいないことから物損扱いとされあっという間に手続きは終わった。
「あとは3人で話し合ってください」
といういことで警察は立ち去ろうとした。

ええ? これで終わり。
補償はどうするの?


私たちの疑問を察するように、警察は「あとは保険会社同士で話をすることになります。」
と説明してくれた。

レッカー車が到着するまで、警察は待っていてくれた。
幸いにも5分でレッカー車がやってきて、愛車は近くの修理工場へドックインした。

けが人がいなくて本当によかった。
みんないい人のようだったし、不幸中の幸いだった。
よかったよかった。

と思ってその日は終えたのだったが、
車の修理に140万かかると言ってきた。相手の保険では100万しか出ないらしい。
買い替える場合は50万のみ。

何ですって?!

お金が絡んできた途端に、納得できない思いが噴出。
こうやって事故がもめていくんだわ。
相手の保険会社担当者の奥歯にものの挟まった言い方にも腹が立った。
平謝りする割には納得いく説明はしてくれない。

こうなったら、何としてもふんだくってやる。
まるで守銭奴のような有様になってしまった。。


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2014/06/15 (Sun) 青い手ぬぐい

この季節に似合うのが青色の手ぬぐい。
ということで、手持ちの手ぬぐいをかき集めてみた。
濃淡や柄はいろいろあるけど、青い手ぬぐいは涼しげでいい。


tenugui blue 20140615_01 15


明治時代に日本を訪れた外国人は、日本の藍染を青を見て「ジャパニーズブルー」と呼んだとか。
江戸時代に庶民の着物として綿が主流となり、綿の着物染めるのに適した藍染が流行したのだとか。
サッカーの日本代表のユニフォームが日の丸の赤や白でなく、ブルーなのはどうしてだろう、と漠然と思っていたのだけど、ジャパニーズブルーという言葉を聞いて納得した。


tenugui blue 20140615_04 15
(左上から時計回りに) 
絣(かすり)/めだか/波の丸/弁慶格子/青海波(せいがいは)/板締め搾り


サムライブルーのユニフォームを身に着けてブラジルで戦うザックジャパンを応援しつつ、ジャパニーズブルーの手ぬぐいを愛でることにしたい。


tenugui blue 20140615_05 15
(左上から時計回りに) 
板締め搾り/波の丸/渦/豆搾り/麻の葉/青海波(青海波)

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2014/06/15 (Sun) L'AVENUEのケーキ

人間ドックの帰りに、久しぶりに神戸北野にあるL'avenueに行ってきた。
L'avenueのお菓子は何度か書いたことがあるけど、ワールドチョコレートマスターズ2009で優勝したパティシェ平井重雄さんが2012年に神戸トアロードに開いたお店。


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お店の外観


バレンタインで彼のチョコレートに魅せられて以来、何度かチョコレートや焼き菓子を購入してきたけど、ケーキは持ち帰りの距離が長いことから断念していた。
今回、初めてそのケーキに手を伸ばしてみた。


■ディジョネ Dijonnais

ダークチョコレートのムースの中には、カシスのジュレとアールグレイで香りを付けたガナッシュ
食感のクレープダンテルとダックワーズショコラ
 
今年のバレンタインシーズンに発売されたケーキ。
ダークチョコレートにカシスの組み合わせがとても濃厚。
甘さもしっかりしていて、近年甘味を抑えたアッサリした風味のケーキが多い中で、ずしんとパンチがある。
この季節にはちょっと重すぎると感じてもおかしくないのだけど、不思議と大丈夫だった。
ダークチョコの苦みと甘味、そしてカシスの酸味など、味のグラデーションを楽しみながら、底の方のスポンジにはサクサクしたビスキュイ(?)が入っている。食感もズミカルで楽しめる。これはとても気に入った。


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ディジョネ Dijonnais


■マジェンダ Magenta

旬のダークチェリーのクラフティをラヴニューのスタイルで。

つるんとしたラウンド型のシンプルなフェイス。つややかでカボションカットの宝石のようでもある。
L'avenueのケーキによくみられる丸型のケーキだ。
爽やかなダークチェリーのムースがタルト生地の乗っかっている。
3人で突きながらあっという間に食べてしまったので、中がどうなっていたかちゃんと覚えてない。
チェリーとクリームとタルト生地が重なっていたのだと思う。とても美味しかった。


lavenue magenta 20140613_01 15
マジェンダ Magenta


■モード MODE

ヘーゼルナッツとアプリコット、
チョコレートの絶妙なハーモニー

ワールドチョコレートマスターズ2009での優勝を記念してつくられたケーキとか。
サイドから見たケーキの断面がとても美しい。
ケーキというよりチョコレートに近い。チョコレートボンボンの世界をケーキに広げて見せたような感じだ。
平井さんのチョコレートボンボンにはよくジュレが入っていて絶妙の味わいを作っているが、ケーキではこもジュレが生のフルーツになるのろう。
ミルクチョコレートのガナッシュとヘーゼルナッツの風味が織りなすハーモニーを楽しんでいると、アプリコットがちょっと意外性のある風味を感じさせる。個人的にはアプリコットはなくてもいいかなと思ったけど、ま、これは好き好きだろう。


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モード MODE


■リーム L'hymne

西洋なしとチョコレートのデリス、
トンカ豆の豊かな薫り。

箱から出す時に当たってしまい、チョコのコーティングの下からスポンジが見えてしまった。
チョコの飾りもめり込んでしまった……。仕方がないからそのまま写真をとることにした。
本当はつややかにチョコがコーティングされて輝くような外見だったのに……。

これもチョコレートのケーキというよりは、ケーキ仕立てのチョコレートという雰囲気。
チョコレートの新たな味わい方を提案されたようなケーキだ。
ガナッシュと洋ナシが幾層にも重なり、スポンジにはほんのりシナモンの風味がする。と思ったけど、もしかしたらそれが説明にあるトンカ豆なのかも知れない。
チョコレートがとても柔らかくて、盛夏にはどうなってしまうんだろう?と心配になる。
でもとっても美味しい。間違いなく美味しいケーキだった。


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リーム L'hymne

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2014/06/08 (Sun) お向かいさんの紫陽花

お向かいさんの紫陽花がちょうど見ごろ。
とても綺麗なので毎年楽しませてもらっている。


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ブルーから紫、ピンクとグラデーションが豊か。
人の背丈より高くなっていて、花をたわわに付けている。


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最近は、花屋に華やかな色合いの西洋紫陽花が多く見かけるようになったけど
雨によく合う優しい色合いの昔ながらの紫陽花がやっぱりいいなと思う。

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2014/06/07 (Sat) 電撃の日朝交渉進展

5月29日にビックニュースが舞い込んできた。
安倍政権成立以来、水面下で続けられていた日朝交渉で、電撃の新展開。
「北朝鮮側が拉致被害者および拉致の疑いのある行方不明舎を含め、全ての日本人の包括的全面調査を行うことに合意した。
これに対して日本側は、合意した特別調査委員会の発足と活動を確認した時点で、独自に科してきた人的往来や送金など経済制裁の一部を解除する。」
という。

まさに、安倍総理だから成立したことだろう。
2月の関西テレビ ニュースアンカーで、「北朝鮮側は、『安倍が2度我々を裏切った』と強く反発しており、交渉は難航している。」と伝えられていたが、実は金正恩は安倍総理の指導力を気に入っているという。交渉に足る相手と踏んだのだろう。
新たな帰国に結び付けば安倍さんの大きな成果のひとつになる。

かつて、小泉訪朝の際、当時官房副長官であった安倍さんの働きは広く国民の知るところだ。


当時は、拉致被害者救出は主目的でなく、あくまでも日朝国交正常化が主要課題とされていた。
北朝鮮側から提示されたのは「8名が死亡し、1名は未入国。生存者は5名」という回答だった。
小泉首相はこれを受け入れ、国交正常化を進めようとした。
断固反対の姿勢を取ったのは安倍官房副長官だった。
昼食のためホテルの部屋に帰った際、安倍さんは部屋が盗聴されていることを承知した上で、「拉致も認めず、謝罪もなければ調印はあり得ない。今すぐ帰るべし」と、大声で怒鳴った。
日本側の強い姿勢を知った北朝鮮は譲歩し、5名の一時帰国が叶った。

ところが、これはあくまでも「一時帰国」。
小泉首相も外務省担当者(田中アジア支局長)も北朝鮮側との約束を果たすため5名を北へ戻そうとした。
これに猛然と異を唱えたのは安倍官房副長官であり、中山恭子内閣官房参与だった。
そして最終的に小泉首相が、北朝鮮許すまじの強い世論を考慮し、「5名を北へは戻さない」決断をし、5名の永久帰国が叶った。

そして、今回は小泉訪朝以来のチャンスが巡ってきた。
北朝鮮が日本からの制裁解除を狙ってすり寄ってきたことは明らかであり、また虚偽の調査結果だけ提示して援助だけをかすめ取られないようにしなければならない。

マスコミの中には、卑劣にも安倍総理の「人気取り」とか「手柄の誇示」などと揶揄している反日親共の輩がいる。
しかし、安倍さんはマスコミが注目しない早い時期から拉致問題に取り組んできたのだ。人気取りであるはずがない。
有本さんご夫婦は、最初に社会党の土井たか子氏に訴えたが、彼女はこの訴えを聞くことはなかった。
耳を傾けたのは安倍さんのお父さんである安倍晋太郎氏で、父親の遺志を継いだ安倍晋三さんが地道に進めてきたものだ。当時、政府内においてもこの問題に力を入れても何の得にもならなかった。安倍さんを動かしたのは日本国民としての信念だっただろう。

小泉訪朝の時、拉致被害者を取り戻すことについて、政府内の大多数が反対の中で、国民のために敢然と立ち向かったのは安倍さんだった。その矜持を知れば、自らの手柄や国会運営のために安易な妥協には走るはずがない。そう信じたい。

しかし、北朝鮮はならず者国家であり、今後の交渉はそう簡単ではないだろう。
拉致した人を人質に、金をむしり取ろうとする北朝鮮の卑劣さは憎んでもあまりあるが、今回、さすがの安倍さんも、12名全員の返還は難しいだろうというのが大方の見方である。
その場合に、その何名かだけを日本へ取り戻して制裁を解除するのか、全員取り戻すまでは一切の妥協を拒むのかこれは難しい問題だ。

相手を動かすためにちょっとばかりの蜜を与えるという外交上のテクニックもあるかも知れない。
しかし、北朝鮮が核開発を進めるための資金を日本が軽々しく提供することはできない。

安倍総理には北朝鮮の都合のいい報告や勝手な援助のおねだりを許すことなく、断固とした態度で臨んで欲しい。
再開に喜び合うあの光景を一にも早く見たいと思う。



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2014/06/01 (Sun) 日本最古の伊丹の酒蔵

有岡城跡を巡る街歩きの際に、かなり時間をかけて散策したのが伊丹郷町だ。
JR伊丹駅から西側の一帯は、石畳の道が整備されていて、伊丹郷町へと連なっている。

ゆっくり歩いて10分くらいだろうか。
伊丹郷町には昔の酒蔵や古い屋敷をそのまま残していて、とてもいい雰囲気だ。
なんでも、江戸時代に栄えた酒造りの町で、灘に取って代われるまでの間、お酒といえば伊丹のお酒を指すほどだったらしい。


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雰囲気のいい駅前通り


一際大きな酒蔵は、白雪酒造の「長寿蔵」。
しっくいの白と焼きを入れたこげ茶色の壁の対比が美しい。
この中にはレストランがあり、隣接した店舗ではお酒の販売もしている。

少し歩くと、「老松」という小さなお酒の店舗があった。
いかにも雰囲気のある地元の銘酒というお店だったので、入ってみることにした。
店員さんと少しばかり立ち話。
江戸時代から続く老舗で、江戸時代の番付で1位に輝いたことがあるらしい。
店内にはその時の番付の写しが飾られていた。


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白雪の「長寿蔵」


早速にもお酒を買いたかったけど、これから歩き回るので、「後でまた来ます」と、一旦失礼することにした。
ふと見ると、店の外に水道があって、人々がペットボトルを持ってお水を汲んでいる。
お酒に使う井戸水を無料で市民に開放しているようだった。
こんな街に住めてる人々が羨ましいと思った。


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旧岡田家住宅


それから、老松で教えてもらった「旧岡田家住宅」を見てみることにした。
旧岡田家住宅が建てられたのは、江戸時代延宝2年(1674年)、古くは酒蔵だったようで、大きなお酒を醸造する甕や、お酒を絞るための装置だけでなく、衣類や調度品の数々まで当時のままに保存されていた。


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店にかかる暖簾

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土間の裏天井(小屋組)


広々とした屋敷内には、当時の設備だけでなく、パネルや紹介ビデオを流す部屋もある。
じっくりと見て回るとかなりの時間を過ごすことができた。

何より興味深かったのは、昔ながらのお酒を絞る設備や古い甕など。
また、太い柱や梁など昔の家屋は本当に立派な作りをしている。
自分の町にこんな古い文化財があればいいだろうな。

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洗い場

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釜場

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搾り場


ここの酒蔵は現存する日本の酒蔵の中では最古のものだとのこと。
伊丹が日本酒発祥の地だったら嬉しいな。
それにしても身近な町にこんなお宝があったとは。
私たちの祖先が大切に築き上げてきた歴史は大切にしないといけないなとしみじみ思った。


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2014/05/25 (Sun) 官兵衛が幽閉された有岡城

伊丹駅前にある有岡城跡公園は、かつて黒田官兵衛が荒木村重に幽閉された有岡城があった場所だ。
ちょうど大河ドラマが前半のクライマックスを迎えているので、ちょっと足を延ばしてみることにした。

JR伊丹駅のインフォメーションコーナーで有岡城と荒木村重に関するパンフレットを見つけた。
有岡城の城壁の跡などもあって分かりやすい。それを片手に歩くことにした。

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有岡城跡公園 入口


驚いたのは、有岡城の本丸跡がJR伊丹駅のすぐ目の前にあるということ。
駅から陸橋を渡るとすぐそこに有岡城跡公園がある。
残念ながら天守閣などは全くなくて、遺構が残っているのみだったが、それでもとても興味深かった。
地元の人が集まっている中で、私と同じようにあちこち写真をっているお父さんがいた。
官兵衛が幽閉された城を見に来たのだろうか。ちょっと親しみがわく。


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礎石の跡


ここで、有岡城の造りについて少し勉強しておこう。

有岡城は元は伊丹城と呼ばれ、南北朝時代、摂津国人の伊丹氏によって建築された。
戦国時代によく見られる山城とは違い、「惣構(そうがまえ)」と言われる。
惣構(そうがまえ)とは、城下町一帯も含めて堀や石垣、土塁で取り込み城郭一体を防御する構造のことをいう。


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井戸跡

有岡城の囲いは南北1.7km、東西0.8km。その中に侍町や町屋が含まれていた。
東側を流れる伊丹川との間が崖となり、その東側には駄六川と猪名川が天然の要害となって城を守った。
宣教師フロイスによると、「甚だ壮大にして見事なる城」だったらしい。


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石垣の跡

その防御の構造としては、東側は自然の地形(段丘)を城郭に取り込み、西には「上臈塚砦(じょうろうづかとりで)。
北には、現在の稲名野神社内に、「きしの砦」と言われる土塁が守りを固め、南には「鵯塚砦(ひよどりづかとりで)」が大阪方面へ向かう街道の守りにあたっていたそうだ。


itami 20140524_12_hiri of arioka castle 15
内堀跡


有岡城跡公園を見てから、稲名野神社へ向かう前に、古い酒蔵などを保存している伊丹郷町を楽しんだ。
伊丹駅から駅前に続く道はきれいに石畳が整備され、両側には感じのいい飲食店が並ぶ。
街歩きにはもってこいだ。
伊丹と言えば、「飛行場」というイメージしかなかったけれど、歩いてみるとこんなに素敵な町だったのかと驚いた。
有岡郷町付近は江戸時代には貴族である近衛家の直轄地だったらしい。
あたりには数多くの寺社が立ち並んで、昔から開けてきた土地であることがうかがえた。
伊丹郷町については、長くなるので後でくわしく書くことにしたい。


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稲名野神社の境内


有岡城跡公園から寄り道せずに歩けば、15~20分ほどで稲名野神社へたどり着く。
神社近くの宮ノ前は「みやのまえ文化郷」と呼ばれて、「ことば蔵」というユニークな名前の市立図書館があったり、美術館があったりして、とても文化的な雰囲気だ。

本殿にお参りをしようとしたら、地元の女性が熱心にお祈りをしていたので、しばらく待ってみる。
その姿を見ながら、「この人はどんな人生を背負ってここでお祈りしているんだろう。願いが叶うといいな。」と思わずにはいられなかった。

itami 20140524_65_inanojinja 15
裏手にある土俵 


お参りを済ませて境内の裏手にまわってみると、土俵があるではないか。
今でも神前相撲が行われていたのだろうか。

さて、「きしの砦はいずこに?」
北側に歩いて行くと、木の茂みとこんもりとした土手がある。
ここが、きしの砦の土塁の跡だった。
思ったより低いように思ったが、長年の年月の間に雨で洗われたのかも知れないな。


itami 20140524_67_inanojinja 15
稲名野神社北側の土塁跡


やはりここにも、歴史の遺跡めぐりのお父さんがいて、同じポイントで写真を撮っている。
賤ヶ岳や木之本を訪れた時にも思ったことだけど、歴史は財産だ。
昔の歴史を大切にすることは本当に大事だと思う。
遺跡は過去と現代をつなぐタイムカプセルのようなものだし、町を魅力的にし、地元の人に郷土への愛着や誇りをもたらす。


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黒染寺


有岡城の戦いで、信長軍の調略により城壁が破られるのが、西の要であった「上臈塚砦」という。
地図を片手に歩き回り、伊丹シティホテルの南側にやってきたが、それらしき史跡が見当たらない。
辺りをぐるぐる回って、近所の人やホテルのフロントに聞いてみたけどみんな首を振るばかり。
地図を見ると、この辺りしか考えられない!という場所が、写真の「黒染寺」付近なので、仕方なくここの入り口の写真を撮ってきた。


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伊丹市のマスコットキャクター「たみまる」と荒木村重がコラボした「村重たみまる」


そんなこんなで、たっぷり3時間半ほど歩き回り、いい感じの疲労感だった。
大河ドラマではちょうど官兵衛が有岡城に幽閉されるところで、グッドタイミングだった。
荒木村重は、厳重な信長の囲みを破って数人の家臣と脱出をはかり、その後、神戸元町の花隈城にも立ち寄っている。
そして、千利休に師事し、やがて秀吉に茶の道で仕えることなるというのだから、歴史は不思議だ。

歴史を知り、その土地を訪ねて古の昔に思いをはせるのは本当に楽しい。
前王朝の文書や文化を破壊し尽くす「焚書坑儒」の中国ではこうはいかない。
そう考えると日本は素晴らしい国だと思う。

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2014/05/18 (Sun) 黒田氏発祥の地 木之本と賤ヶ岳

念願の賤ヶ岳へやっと行くことが出来た。
賤ヶ岳は琵琶湖の北端に位置する標高421mの山。信長亡き後、天正11年(1583年)、 羽柴秀吉と柴田勝家の跡目争いの合戦が行われたことで有名だ。

今年は琵琶湖がマイブーム。行くたびに泊まりで行けばよかったと後悔するのだけど、今回もまた日帰りだ。
時間の節約のため、新幹線を使って米原経由で湖東線の「木之本」駅へ向かう。
琵琶湖東岸の田圃は早くもあちこちで水が張っていて田植えが終わったところもあった。
遠くに見える、こんもりした可愛い山影。何という山だろう。

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車窓からの風景


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木之本周辺の地図


木之本は黒田官兵衛の祖先の発祥の地。
また、官兵衛も参加したという賤ヶ岳の戦いの舞台である賤ヶ岳がある。
木ノ本駅で、週末限定の「おもてなしバス」を見つけて乗り込んだ。
おもてなしバスにはボランティアのガイドさんがいて、説明をしてくれる。
運転手さんもとても親切。素朴で温かい地元の人との交流が楽しかった。


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木之本駅の西側にある田上山(たがみやま)


木之本駅のすぐ目の前に山が迫っている。まさに「山笑う」で、新緑が大変美しい。
ガイドさんによると、田上山(たがみやま)といい、賤ヶ岳の合戦では秀吉の弟、秀長が陣を張った場所だという。
そんな話を聞きながら、バスはすぐに黒田家御廟所へ到着。

御廟所一体は、構(かまえ)屋敷と言われ、古くから黒田家始祖が祀られているとの言い伝えがあった。
土地の人は私的にこの土地を利用するのを遠慮していたが、やがてこの地に集会所を建設する話が起こり、土を掘ったところ、ここに祀られている人が黒田家の始祖であることを示す証拠の史跡が出土したことから、この地が黒田家発祥の地であることが証明されたという。

土地の人が大事に守ってくれたことが歴史の発見につながったのだ。
感慨深く石碑に手を合わしてきた。


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黒田家御廟所


再びバスに乗り込み、賤ヶ岳のリフト乗り場まで。7分ほどで着いた。
なんでも明日は賤ヶ岳祭が行われるのだとか。
2月に琵琶湖一周の電車の旅をしたときには、雪でよく見えなかった、その賤ヶ岳にようやく来ることができた。
辺りは祭りの幟が立って、準備が進められていた。
人が少ないうちにゆっくり来れたのはかえってラッキーだったかも知れない。


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リフト乗り場付近の青楓


日差しを受けて青楓が輝いている。沢にはかじかの鳴き声が、そして鶯のさえずりも聞こえる。
贅沢なシンフォニーだった。

リフトで上へ上がる途中で、お人形さんのように可愛い姉妹とすれ違った。
「バイバイ」と手を振ると「こんにちは」とお行儀よくあいさつをしてくれた。

リフトを降りて振り返ると木之本の街が見渡せた。
山頂へはそこから400メートルほどだという。
上りやすいように整備された道を上がっていくと、途中で賤ヶ岳の合戦で命を落とした人を祭る社があった。
各所に点在していた社を土地の人が一つにまとめたそうだ。
美しい琵琶湖の景色が見え、木の葉がさらさらと音を立てている。
自然が討死した人との魂を慰め、清めてくれているかのようだ。


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木々の切れ間から琵琶湖が見えてきた


こんな美しい場所で、すさまじい戦いが行われたとは、ちょっと信じられないような気がする。
なおも上がっていくと木々の茂みが開けてきて琵琶湖の眺望が徐々に姿を現してくる。
何度も振り返りっては深呼吸。新緑と湖面が織りなす美しい景色と清々しい空気を目いっぱい楽んだ。
そして山頂へ到着。


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賤ヶ岳山頂から南側の琵琶湖を望む

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中央の小さな島が竹生島


強い風にあおられながら眼下に目をやると、琵琶湖の景色に息を飲んだ。
神々が下りてきているとしか思えない。
山の若々しい緑が湖面を取り囲むようだ。
山肌を初夏の強い風が吹き渡り、鶯が盛んに鳴いている。
湖面からは霞のように水蒸気が漂っていて、やがて空の色と溶け合っていく。
その景色の中央に、最後の仕上げをするかのように先週訪れた竹生島(ちくぶじま)が浮かんでいる。
一陣の風が全身を駆け抜けていく。
しばらく言葉もなく、ただただその景色を眺めていた。


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山頂の石碑


反対側へ行き北側に目を転じると、天女の羽衣伝説で有名な余呉湖が見える。
ボランティアのガイドさんが賤ヶ岳の合戦について説明をされていたので、そっと聞き耳を立ててみた。
北側の山々を指さしながら、合戦の陣立てを説明してくれる。
目の前の壮大なパノラマを観ながら解説してくれるものだからすごい臨場感だった。

写真の右側に連なる尾根(のどこか)が大岩山で、柴田勢の佐久間盛政の奇襲を受け、秀吉軍の中川清秀が討死した場所とのこと。


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賤ヶ岳山頂から北側の余呉湖を望む


中川清秀が討死したその時、秀吉は岐阜を目指しながら大雨で大垣に足止めを食らっていた。
報せを受けて急きょ賤ヶ岳へ、わずが5時間ほどでとって返す、いわゆる「美濃大返し」をやってのける。


現地へ行って初めて知ったのは、賤ヶ岳の合戦は、実は賤ヶ岳では戦は行われておらず、余呉湖周辺が戦場となったということだ。

 
敵地へ深入りしていた佐久間盛政は、姿を現した秀吉軍に驚愕して退却を始める。
しかし、秀吉軍に追いつかれ余呉湖西岸あたり(写真では余呉湖の左側)で激戦となった。
有名な七本槍が武功を挙げたのはほぼここでの戦いだとか。


さて、山頂から目を東に転ずると、この辺りでは一際高い伊吹山と、先ほど上ってきた木之本地区が見渡せる。
浅井氏の居城小谷城がある小谷山も見える。


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賤ヶ岳より東南方向、木之本地区の眺望①


賤ヶ岳の戦いより遡ること10年前の天正元年(1573年)、浅井長政と織田信長との戦いが行われた。
朝倉氏攻略のため妹お市を嫁がせ姻戚関係になっていた浅井氏の裏切りにより窮地を迎える。
信長は小谷山南に位置する横山城(横山丘陵/写真は虎御前山の左手あたりか)に秀吉を配し浅井勢の切り崩しにかかる。 



賤ヶ岳より東南方向、木之本地区の眺望②


さらに、山本山城の阿閉貞征(あつじ さだゆき)を調略し、小谷城を丸裸にする。 
信長自らは、虎御前山に本陣を敷いた。
小谷城は山頂に山王丸、小丸、京極丸、中丸、本丸、金吾丸と段階的に配置された強固な山城だったが、秀吉が京極丸を攻略したことを足掛かりに、本丸を落とし、長政は自刃した。



歴史はその場所に行ってみると面白さが倍増する。
地元ボランティアガイドさんの話しぶりには熱がこもり、それに耳を傾けながら、歴史は郷土の財産だなあと思った。

再びリフトに乗り、山を下っていく。
振り返って賤ヶ岳に別れを告げ、帰りは歩くことにした。
辺りは緑が美しく、田には水が張られて田植えの準備が進んでいた。
里山といってもいいような素朴な景色を味わいながらの楽しい帰り道だった。


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賤ヶ岳ふもとの風景


賤ヶ岳山頂でゆっくりし過ぎたので、木之本宿の古い街並みを散策する時間がなくなってしまった。
それと、今度は余呉駅から降りて余呉湖側からの景色も見てみたい。
秋の景色も素晴らしいだろうな……。

ということで、それは次回へ持ち越しとなった。
行けば行くほど見たい場所、見たい景色が増えていくなあ。
まあ、時間をかけてゆっくり回ることにしようと思う。


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2014/02/28 早春の近江路 その壱
2014/03/08 早春の近江路 その弐
2014/03/15 早春の近江路 その参 -長浜-
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2014/05/17 (Sat) 人の手に勝るものは……(450人分のお茶)

先日、地域住民の方に会社を公開する催しが行われ、450人のお茶会が開かれた。
昨年に続いて、お茶会スタッフとして参加。
今回はお客様にお茶を運ぶ「お着物部隊」ではなく、裏方の「お茶を点て部隊」として参加することにした。

いつもは、茶室で先着順にお茶を振る舞うことが多かったが、今回はより多くの人にお茶を振る舞うために、ミニ講演会などを行っている部屋で30名ずつ計15席のお茶会を行うという。
裏方スタッフは5名。単純計算で一人90碗のお茶を点てなければならない!?

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本日のお菓子

「お着物部隊」は、動き方やお茶を出す手順を真剣な表情でおさらいしている。
その間に、私たち「お茶点て部隊」は、開始までの短い時間に準備を整える。
何とかスムーズに一回30人の茶席が回るように、アイデアを出し合い、足りないものをあちこに取に走ったりした。

これでよし。
準備完了でお客様を待つ。

いよいよ第一席目がスタート。
「お着物部隊」がお菓子を運ぶや、お茶を点て始める。
時間が短い中だったけど、何とか点て終わった。


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段取りの打ち合わせをする「お着物部隊」


ふーっと一息つく暇もなく、第二席目。
お茶を点てるのと並行して、引いてきたお茶碗を洗わなければいけないので、そこに時間がとられた。
でも水をたくさん用意していたは正解だった。

あっという間に二席目が終わった。
すでに手が痛いんですけど……(笑)
さあ!と身構えていると、今度は人数が半分くらいだったので助かった。

途中何度か、非常に忙しい時間が訪れたが、足りてないところを補って何とか乗り切った。
手の痛みと戦いながら(笑)、お茶を点てる私たちを見かねて、時には「お着物部隊」が、手伝ってくれたりした。

そんなこんなで裏方はてんやんやだったけど、蓋を開けてみると、結局は想定した最大450には満たなくて、300名くらいに収まった。

茶席が終わってから、お茶先生のMちゃんが、
「実はね……こんなのを用意してたんやけど……」
と、ある新兵器を見せてくれた。


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自動お茶点て器


なんと、泡立て器の茶筅版で、自動でお茶を点てることができるものがあったらしい?!

ところが、使ってみるとものすごい音がするので、お蔵入りになったとか。
スイッチを入れてみると、確かにやかましい(笑)。

「お着物部隊」も興味津々で、最後にフェスタのスタッフにお茶を振る舞う際に、
「折角だから使ってみようよ!」
と、盛り上がったのだけど、……

結局、「機械で点てたお茶はイヤやね」、ということで意見がまとまり、使わず終いだった。
やっぱり人の手に勝るものはござりません(笑)。

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2014/05/15 (Thu) 集団的自衛権と中国の対日工作

安倍総理の私的諮問機関、安保法制懇(安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会)から報告書が提出された。
これを受けて5月15日に総理が記者会見。

外国で起こった紛争に邦人がまきまれた場合など、具体的な事例を説明して、現在の法整備では日本人の安全が守られない現状を分かりやすく説明されていた。落ち着いた話しぶりの中に、強い決意と高い志が現れていて、感動的な会見だった。

当たり前のことが当たり前に受け止められない日本とは、本当に不思議な国だ。
さっそくに朝日や毎日などの各メディアや、文化人・コメンテーターらが一斉に反論。
「戦争に巻きまれる懸念」「これまで平和だったのに、なぜ今更憲法解釈の変更が必要か」などなど、呆れるというかうんざりするというか……。

「第二次世界大戦以後、日本が戦争をせずに済んだのは憲法9条で戦争を放棄してきたから」
などという、お花畑的ポエムを、本当に信じているのだろうか。
アメリカの核の傘と日米安保に守られてきたからであることは明白だ。

世の中は相変わらず非現実的な議論が繰り返されているが、それでもここまできたことは大きな前進だと思う。
安倍総理の国を思う強い意志とリーダーシップでやっと普通の国への歩みが始まったようだ。


しかし、そんな安倍総理は中国から見たら大きな脅威であって、安倍下しの工作が加速しているのだとか。

4月13日(日)に放送された「たかじんのそこまで言って委員会」
引退したOBを中心に自民党内の水面下の動きが……。
これを「仁義なき抗争」として放送していた。
takajin sokomade itte iinkai 201404013 (1)s

その疑惑を持たれた政治家は以下の4名
古賀 誠
野中 広務
青木 幹雄
二階 俊博(衆議院予算委員長)

古賀氏は次の自民党総裁選で野田 聖子氏(自民党総務会長)を担ぎ上げようとしているという怪情報もあるという。

解説に立った鴻池氏の茶目っ気たっぷりな話しぶりには大いに笑った。
「バッチついてるもんなエエねん。責任とれるから。
 バッチもつけてへんモンが(引退した者が)、ごちゃごちゃ言うなよ…のう」

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そして、4月30日(水)のスーパーニュースアンカーで、青山繁晴氏が奇しくも同じ動きがあることを指摘。
中国が消費増税での景気が冷え込むタイミングを狙って、4月政変を狙っていたという。
その内容は以下の通り。


super news anchor 20140430 (7)s


中国共産党が、親中派の政治家を使って、自民党を分裂させ安倍総理を孤立化させようと工作。
中国側が働きかけている政治家は以下の通り。

古賀 誠
野中 広務
野田 毅

古賀や野中などは見事に「たかじんのそこまで─」の情報と被っている。
これら親中派の政治家を使って、野田聖子氏を次の総裁に担ぎ上げようという動きは実際にあったようだ。
野田氏といえば、手段的自衛権への意見を問われて「自分にも子供がいる。戦争に巻きこまれるのは反対」などと、与党政治家とも思えない左翼マスコミに迎合したコメントをしていたのが気になる。
しかし、この話は一旦壊れて、次に中国は小渕さんの娘である、小渕優子元少子化対策担当大臣に接触を図っているという。
その上で、短期的には公明党 山口党首を担ぎ上げる動きもあるのだとか。


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さらに、5月7日(水)のアンカーでは、ますます激しくなる中国の対日工作の動きを紹介した。
今年の秋には北京でAPECが行われ、これに合わせて日中首脳会談が調整されている。
しかし、中国側は安倍総理の首を挿げ替えて実施しようと画策しているらしい。

安倍総理がヨーロッパ歴訪中にその工作は進められた。
高村正彦自民党副総裁が、中国を訪問。中国の人民大No3 唐家璇元外相と会った。
その際、政府高官によると、唐家璇元外相は「日中関係の悪化は、主として日本側に問題がある」と言い、問題は「安倍総理の靖国参拝」と「尖閣諸島問題」の2つに絞ってきた。
安倍を外して、APECでは自分たちにとて都合のいい総理と首脳会談をやりたがっているという。


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そこまでして、必死に安倍政権をつぶそうとするのは、裏を返せば安倍総理が久々に現れた優れた指導者ということに他ならない。
国内で、手段的自衛権があるとかないとか、低レベルの論争でまごまごしている場合ではない。
日本の場合、国内に左翼勢力と連動して足を引っ張る、マスコミや大学関係者などの勢力があるから困ったもんだ。
さらに、保守系であるはずの与党の中にも、中共と結びついて利権を得ている政治家の存在が明らかになってきた。

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2014/05/09 (Fri) 姫路のお酒 八重垣

地元姫路の酒造メーカーヤエガキ酒造のお酒「八重垣」を初めて飲んでみた。
ヤエガキ酒造の歴史は古い。祖先を辿ると藤原鎌足にたどり着くらしいが、古くからこの播磨の地では山田錦を原料として酒造りが盛んだったそうだ。
このヤエガキ酒造の創業は寛文6年(1666年)というから江戸時代前半頃のことだった。
お酒の名前がなぜ八重垣かと不思議に思って調べてみたら、明治時代に古い和歌からとったらしい。

このお酒は昔の製法で作られたとのこと。

飲んでみるとまろやかでふくよか。するっと喉を通り大変に美味しかった。
こんな美味しいお酒が地元にあったのに、今まで飲んでなかっただなんて。これからはちょくちょく飲むぞ。(笑)

yaegaki 20140503_02s

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2014/05/08 (Thu) この時期の奇跡 筍の木の芽和え

常々「すごい!」と思うのは、筍に山椒の新芽を和えようとした先人のセンスだ。
ふたつの出会いは、まさに奇跡だと思う。

「好物は何?」と聞かれたら、私は迷うことなく「筍の木の芽和え」と答えるだろう。
少しの苦みと独特の風味、生命力あふれる筍に、山椒の新芽のえも言われぬ香りが魔法をかける。

そして、この時期にしか味わえないというのもありがたみを増している。
旬というものがなくなりつつある中で、竹かんむりに「旬」と書く「筍」は、旬の食材のありがたさを教えてくれる貴重なものだと思う。

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2014/05/07 (Wed) シンプルな革のトート

欲しくて買えなくて……、2年間くらい迷った末に消費増税前に購入した革のトート。
シンプルなつくりと、国産の丁寧な縫製、丸みのある優しいフォルムなどが気に入って、仕事に休日に活躍してくれている。

このお店は2年前に東京へ行った時に、丸ノ内ビルディングで見つけた。
どのバックもシンプルで、素材のよさが生かされている。
関西では京都と神戸に店舗があるとのことで、そこから何度かお店に通い、ようやく今年になって購入できた。

このバックを持って某高級皮革ブランドのショップを冷やかしに行ったら、“店員さんの目が釘付けになっている…”ような気がした。「むふふ、いい感じでしょ(笑)。」


bag 20140427_05 15

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Author:つき
普段は虎を肴に大好きなお酒を楽しむオヤジ系。かつては米(米米CLUB)を追いかけ、今でもコンサートには顔を出す。さらに歌舞伎や時代劇を愛し、手ぬぐいをコレクションし、和菓子屋やスイーツにも目がない。茶道をちょっとだけかじり、日本文化のキーワードには反応してしまう。身体を動かすことは得意でないけど、タイガースと職場の陸上チームを応援してます。

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