「よもやま日記」

身の回り出来事や心に浮かんだ独り言、お気に入りのもの、日常の風景を切り取った写真などなど、思いつくままに書いてます。

「よろしかったでしょうか?」

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最近、気になる言葉にこの「よろしかったでしょうか?」がある。
服を買うとき、電話をするとき、いたるところでこの言葉に出会う。実に不思議な表現だが、若い人は違和感を感じないのだろうか。

言葉の使い方が気になるというのは、年齢を取ったってことなんだろうか?(苦笑)

この言葉、使い方を誤っているのは大抵の人は気付いていることだと思う。
私はこの言葉に出会うたび、違和感を感じてしょうがない。

なぜ、「これでよろしいでしょうか?」ではなく、わざわざ「よろしかったでしょうか?」
と、過去形にするのだろう?

最近の若者ことばは、断定的な言い切りを避けて、わざと余韻を残した曖昧な使い方をする傾向はあるらしい。
「~~だ。」といわずに、「~~ていうか…。」と言葉を濁す。「~~だと思う。」と言えばいいところを、「わたし的には~」などと言い断定を避ける。
若い世代は、自己主張が強いのかと思っていたから、極めて日本人的曖昧表現を使うことに新鮮な驚きを持ったものだった。

じゃあ、この「よろしかったでしょうか?」は何だろう?
曖昧表現とは言えない。
何故、過去形にする必要があるんだろう?

「~~すればよかった。」
という言い方がある。
もっぱら後悔するときに出てくるけれど、これと関連があるような気がしてきた。

これは、「結果」を意識した言葉。
何かことが終った後でそれを振り返ってその出来事、事実を自分の価値観で評価する言葉。

してみると「よろしかったでしょうか?」は、自分の言葉、行動、配慮が相手にとって好ましい結果をもたらしたかということを聞いているのかも知れない。
そこには、「へりくだった」姿勢が感じられる。

もう一歩突っ込んで言うなら、少しおどおどしながら、相手の持っている「満足」か「不満足」か? または「好都合」か「不都合」かという「結果─答え」を聞き出そうということではないか。

「よろしいでしょうか?」
も、相手の「満足」「不満足」をたずねているには変わりないけれど、こちらは現在形なので、相手の意見を聞きながら一緒に考えるニュアンスがある。

「よろかったでしょうか?」
となると、より受身的で、解答待ち的な感じが強い。

こじつけかも知れないけれど、「考えることを教える」教育ではなく、あらかじめ用意されている「解答」にたどり着くことばかりに力を入れてきた日本の教育制度の影響なんだろうか。

それなら暗記ばかりを教えられてきた私たちの世代だって持ってる本質は同じわけだ^^
いつの時代も若者が言葉を誤った使い方へ誘導してきたけれど、特に今の若者世代は、内面に合わせて言葉を作り変えていく能力に長けているのかも知れない。

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