「よもやま日記」//身の回り出来事や心に浮かんだ独り言、お気に入りのもの、日常の風景を切り取った写真などなど、思いつくままに書いてます。

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2014/05/25 (Sun) 官兵衛が幽閉された有岡城

伊丹駅前にある有岡城跡公園は、かつて黒田官兵衛が荒木村重に幽閉された有岡城があった場所だ。
ちょうど大河ドラマが前半のクライマックスを迎えているので、ちょっと足を延ばしてみることにした。

JR伊丹駅のインフォメーションコーナーで有岡城と荒木村重に関するパンフレットを見つけた。
有岡城の城壁の跡などもあって分かりやすい。それを片手に歩くことにした。

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有岡城跡公園 入口


驚いたのは、有岡城の本丸跡がJR伊丹駅のすぐ目の前にあるということ。
駅から陸橋を渡るとすぐそこに有岡城跡公園がある。
残念ながら天守閣などは全くなくて、遺構が残っているのみだったが、それでもとても興味深かった。
地元の人が集まっている中で、私と同じようにあちこち写真をっているお父さんがいた。
官兵衛が幽閉された城を見に来たのだろうか。ちょっと親しみがわく。


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礎石の跡


ここで、有岡城の造りについて少し勉強しておこう。

有岡城は元は伊丹城と呼ばれ、南北朝時代、摂津国人の伊丹氏によって建築された。
戦国時代によく見られる山城とは違い、「惣構(そうがまえ)」と言われる。
惣構(そうがまえ)とは、城下町一帯も含めて堀や石垣、土塁で取り込み城郭一体を防御する構造のことをいう。


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井戸跡

有岡城の囲いは南北1.7km、東西0.8km。その中に侍町や町屋が含まれていた。
東側を流れる伊丹川との間が崖となり、その東側には駄六川と猪名川が天然の要害となって城を守った。
宣教師フロイスによると、「甚だ壮大にして見事なる城」だったらしい。


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石垣の跡

その防御の構造としては、東側は自然の地形(段丘)を城郭に取り込み、西には「上臈塚砦(じょうろうづかとりで)。
北には、現在の稲名野神社内に、「きしの砦」と言われる土塁が守りを固め、南には「鵯塚砦(ひよどりづかとりで)」が大阪方面へ向かう街道の守りにあたっていたそうだ。


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内堀跡


有岡城跡公園を見てから、稲名野神社へ向かう前に、古い酒蔵などを保存している伊丹郷町を楽しんだ。
伊丹駅から駅前に続く道はきれいに石畳が整備され、両側には感じのいい飲食店が並ぶ。
街歩きにはもってこいだ。
伊丹と言えば、「飛行場」というイメージしかなかったけれど、歩いてみるとこんなに素敵な町だったのかと驚いた。
有岡郷町付近は江戸時代には貴族である近衛家の直轄地だったらしい。
あたりには数多くの寺社が立ち並んで、昔から開けてきた土地であることがうかがえた。
伊丹郷町については、長くなるので後でくわしく書くことにしたい。


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稲名野神社の境内


有岡城跡公園から寄り道せずに歩けば、15~20分ほどで稲名野神社へたどり着く。
神社近くの宮ノ前は「みやのまえ文化郷」と呼ばれて、「ことば蔵」というユニークな名前の市立図書館があったり、美術館があったりして、とても文化的な雰囲気だ。

本殿にお参りをしようとしたら、地元の女性が熱心にお祈りをしていたので、しばらく待ってみる。
その姿を見ながら、「この人はどんな人生を背負ってここでお祈りしているんだろう。願いが叶うといいな。」と思わずにはいられなかった。

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裏手にある土俵 


お参りを済ませて境内の裏手にまわってみると、土俵があるではないか。
今でも神前相撲が行われていたのだろうか。

さて、「きしの砦はいずこに?」
北側に歩いて行くと、木の茂みとこんもりとした土手がある。
ここが、きしの砦の土塁の跡だった。
思ったより低いように思ったが、長年の年月の間に雨で洗われたのかも知れないな。


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稲名野神社北側の土塁跡


やはりここにも、歴史の遺跡めぐりのお父さんがいて、同じポイントで写真を撮っている。
賤ヶ岳や木之本を訪れた時にも思ったことだけど、歴史は財産だ。
昔の歴史を大切にすることは本当に大事だと思う。
遺跡は過去と現代をつなぐタイムカプセルのようなものだし、町を魅力的にし、地元の人に郷土への愛着や誇りをもたらす。


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黒染寺


有岡城の戦いで、信長軍の調略により城壁が破られるのが、西の要であった「上臈塚砦」という。
地図を片手に歩き回り、伊丹シティホテルの南側にやってきたが、それらしき史跡が見当たらない。
辺りをぐるぐる回って、近所の人やホテルのフロントに聞いてみたけどみんな首を振るばかり。
地図を見ると、この辺りしか考えられない!という場所が、写真の「黒染寺」付近なので、仕方なくここの入り口の写真を撮ってきた。


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伊丹市のマスコットキャクター「たみまる」と荒木村重がコラボした「村重たみまる」


そんなこんなで、たっぷり3時間半ほど歩き回り、いい感じの疲労感だった。
大河ドラマではちょうど官兵衛が有岡城に幽閉されるところで、グッドタイミングだった。
荒木村重は、厳重な信長の囲みを破って数人の家臣と脱出をはかり、その後、神戸元町の花隈城にも立ち寄っている。
そして、千利休に師事し、やがて秀吉に茶の道で仕えることなるというのだから、歴史は不思議だ。

歴史を知り、その土地を訪ねて古の昔に思いをはせるのは本当に楽しい。
前王朝の文書や文化を破壊し尽くす「焚書坑儒」の中国ではこうはいかない。
そう考えると日本は素晴らしい国だと思う。

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2014/05/18 (Sun) 黒田氏発祥の地 木之本と賤ヶ岳

念願の賤ヶ岳へやっと行くことが出来た。
賤ヶ岳は琵琶湖の北端に位置する標高421mの山。信長亡き後、天正11年(1583年)、 羽柴秀吉と柴田勝家の跡目争いの合戦が行われたことで有名だ。

今年は琵琶湖がマイブーム。行くたびに泊まりで行けばよかったと後悔するのだけど、今回もまた日帰りだ。
時間の節約のため、新幹線を使って米原経由で湖東線の「木之本」駅へ向かう。
琵琶湖東岸の田圃は早くもあちこちで水が張っていて田植えが終わったところもあった。
遠くに見える、こんもりした可愛い山影。何という山だろう。

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車窓からの風景


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木之本周辺の地図


木之本は黒田官兵衛の祖先の発祥の地。
また、官兵衛も参加したという賤ヶ岳の戦いの舞台である賤ヶ岳がある。
木ノ本駅で、週末限定の「おもてなしバス」を見つけて乗り込んだ。
おもてなしバスにはボランティアのガイドさんがいて、説明をしてくれる。
運転手さんもとても親切。素朴で温かい地元の人との交流が楽しかった。


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木之本駅の西側にある田上山(たがみやま)


木之本駅のすぐ目の前に山が迫っている。まさに「山笑う」で、新緑が大変美しい。
ガイドさんによると、田上山(たがみやま)といい、賤ヶ岳の合戦では秀吉の弟、秀長が陣を張った場所だという。
そんな話を聞きながら、バスはすぐに黒田家御廟所へ到着。

御廟所一体は、構(かまえ)屋敷と言われ、古くから黒田家始祖が祀られているとの言い伝えがあった。
土地の人は私的にこの土地を利用するのを遠慮していたが、やがてこの地に集会所を建設する話が起こり、土を掘ったところ、ここに祀られている人が黒田家の始祖であることを示す証拠の史跡が出土したことから、この地が黒田家発祥の地であることが証明されたという。

土地の人が大事に守ってくれたことが歴史の発見につながったのだ。
感慨深く石碑に手を合わしてきた。


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黒田家御廟所


再びバスに乗り込み、賤ヶ岳のリフト乗り場まで。7分ほどで着いた。
なんでも明日は賤ヶ岳祭が行われるのだとか。
2月に琵琶湖一周の電車の旅をしたときには、雪でよく見えなかった、その賤ヶ岳にようやく来ることができた。
辺りは祭りの幟が立って、準備が進められていた。
人が少ないうちにゆっくり来れたのはかえってラッキーだったかも知れない。


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リフト乗り場付近の青楓


日差しを受けて青楓が輝いている。沢にはかじかの鳴き声が、そして鶯のさえずりも聞こえる。
贅沢なシンフォニーだった。

リフトで上へ上がる途中で、お人形さんのように可愛い姉妹とすれ違った。
「バイバイ」と手を振ると「こんにちは」とお行儀よくあいさつをしてくれた。

リフトを降りて振り返ると木之本の街が見渡せた。
山頂へはそこから400メートルほどだという。
上りやすいように整備された道を上がっていくと、途中で賤ヶ岳の合戦で命を落とした人を祭る社があった。
各所に点在していた社を土地の人が一つにまとめたそうだ。
美しい琵琶湖の景色が見え、木の葉がさらさらと音を立てている。
自然が討死した人との魂を慰め、清めてくれているかのようだ。


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木々の切れ間から琵琶湖が見えてきた


こんな美しい場所で、すさまじい戦いが行われたとは、ちょっと信じられないような気がする。
なおも上がっていくと木々の茂みが開けてきて琵琶湖の眺望が徐々に姿を現してくる。
何度も振り返りっては深呼吸。新緑と湖面が織りなす美しい景色と清々しい空気を目いっぱい楽んだ。
そして山頂へ到着。


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賤ヶ岳山頂から南側の琵琶湖を望む

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中央の小さな島が竹生島


強い風にあおられながら眼下に目をやると、琵琶湖の景色に息を飲んだ。
神々が下りてきているとしか思えない。
山の若々しい緑が湖面を取り囲むようだ。
山肌を初夏の強い風が吹き渡り、鶯が盛んに鳴いている。
湖面からは霞のように水蒸気が漂っていて、やがて空の色と溶け合っていく。
その景色の中央に、最後の仕上げをするかのように先週訪れた竹生島(ちくぶじま)が浮かんでいる。
一陣の風が全身を駆け抜けていく。
しばらく言葉もなく、ただただその景色を眺めていた。


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山頂の石碑


反対側へ行き北側に目を転じると、天女の羽衣伝説で有名な余呉湖が見える。
ボランティアのガイドさんが賤ヶ岳の合戦について説明をされていたので、そっと聞き耳を立ててみた。
北側の山々を指さしながら、合戦の陣立てを説明してくれる。
目の前の壮大なパノラマを観ながら解説してくれるものだからすごい臨場感だった。

写真の右側に連なる尾根(のどこか)が大岩山で、柴田勢の佐久間盛政の奇襲を受け、秀吉軍の中川清秀が討死した場所とのこと。


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賤ヶ岳山頂から北側の余呉湖を望む


中川清秀が討死したその時、秀吉は岐阜を目指しながら大雨で大垣に足止めを食らっていた。
報せを受けて急きょ賤ヶ岳へ、わずが5時間ほどでとって返す、いわゆる「美濃大返し」をやってのける。


現地へ行って初めて知ったのは、賤ヶ岳の合戦は、実は賤ヶ岳では戦は行われておらず、余呉湖周辺が戦場となったということだ。

 
敵地へ深入りしていた佐久間盛政は、姿を現した秀吉軍に驚愕して退却を始める。
しかし、秀吉軍に追いつかれ余呉湖西岸あたり(写真では余呉湖の左側)で激戦となった。
有名な七本槍が武功を挙げたのはほぼここでの戦いだとか。


さて、山頂から目を東に転ずると、この辺りでは一際高い伊吹山と、先ほど上ってきた木之本地区が見渡せる。
浅井氏の居城小谷城がある小谷山も見える。


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賤ヶ岳より東南方向、木之本地区の眺望①


賤ヶ岳の戦いより遡ること10年前の天正元年(1573年)、浅井長政と織田信長との戦いが行われた。
朝倉氏攻略のため妹お市を嫁がせ姻戚関係になっていた浅井氏の裏切りにより窮地を迎える。
信長は小谷山南に位置する横山城(横山丘陵/写真は虎御前山の左手あたりか)に秀吉を配し浅井勢の切り崩しにかかる。 



賤ヶ岳より東南方向、木之本地区の眺望②


さらに、山本山城の阿閉貞征(あつじ さだゆき)を調略し、小谷城を丸裸にする。 
信長自らは、虎御前山に本陣を敷いた。
小谷城は山頂に山王丸、小丸、京極丸、中丸、本丸、金吾丸と段階的に配置された強固な山城だったが、秀吉が京極丸を攻略したことを足掛かりに、本丸を落とし、長政は自刃した。



歴史はその場所に行ってみると面白さが倍増する。
地元ボランティアガイドさんの話しぶりには熱がこもり、それに耳を傾けながら、歴史は郷土の財産だなあと思った。

再びリフトに乗り、山を下っていく。
振り返って賤ヶ岳に別れを告げ、帰りは歩くことにした。
辺りは緑が美しく、田には水が張られて田植えの準備が進んでいた。
里山といってもいいような素朴な景色を味わいながらの楽しい帰り道だった。


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賤ヶ岳ふもとの風景


賤ヶ岳山頂でゆっくりし過ぎたので、木之本宿の古い街並みを散策する時間がなくなってしまった。
それと、今度は余呉駅から降りて余呉湖側からの景色も見てみたい。
秋の景色も素晴らしいだろうな……。

ということで、それは次回へ持ち越しとなった。
行けば行くほど見たい場所、見たい景色が増えていくなあ。
まあ、時間をかけてゆっくり回ることにしようと思う。


<関連記事>
2014/02/28 早春の近江路 その壱
2014/03/08 早春の近江路 その弐
2014/03/15 早春の近江路 その参 -長浜-
2014/05/06 琵琶湖にうかぶ聖域 竹生島(ちくぶじま)

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2014/05/17 (Sat) 人の手に勝るものは……(450人分のお茶)

先日、地域住民の方に会社を公開する催しが行われ、450人のお茶会が開かれた。
昨年に続いて、お茶会スタッフとして参加。
今回はお客様にお茶を運ぶ「お着物部隊」ではなく、裏方の「お茶を点て部隊」として参加することにした。

いつもは、茶室で先着順にお茶を振る舞うことが多かったが、今回はより多くの人にお茶を振る舞うために、ミニ講演会などを行っている部屋で30名ずつ計15席のお茶会を行うという。
裏方スタッフは5名。単純計算で一人90碗のお茶を点てなければならない!?

TP festa 20140516_04 15
本日のお菓子

「お着物部隊」は、動き方やお茶を出す手順を真剣な表情でおさらいしている。
その間に、私たち「お茶点て部隊」は、開始までの短い時間に準備を整える。
何とかスムーズに一回30人の茶席が回るように、アイデアを出し合い、足りないものをあちこに取に走ったりした。

これでよし。
準備完了でお客様を待つ。

いよいよ第一席目がスタート。
「お着物部隊」がお菓子を運ぶや、お茶を点て始める。
時間が短い中だったけど、何とか点て終わった。


TP festa 20140516_17 15
段取りの打ち合わせをする「お着物部隊」


ふーっと一息つく暇もなく、第二席目。
お茶を点てるのと並行して、引いてきたお茶碗を洗わなければいけないので、そこに時間がとられた。
でも水をたくさん用意していたは正解だった。

あっという間に二席目が終わった。
すでに手が痛いんですけど……(笑)
さあ!と身構えていると、今度は人数が半分くらいだったので助かった。

途中何度か、非常に忙しい時間が訪れたが、足りてないところを補って何とか乗り切った。
手の痛みと戦いながら(笑)、お茶を点てる私たちを見かねて、時には「お着物部隊」が、手伝ってくれたりした。

そんなこんなで裏方はてんやんやだったけど、蓋を開けてみると、結局は想定した最大450には満たなくて、300名くらいに収まった。

茶席が終わってから、お茶先生のMちゃんが、
「実はね……こんなのを用意してたんやけど……」
と、ある新兵器を見せてくれた。


TP festa 20140516_19 15
自動お茶点て器


なんと、泡立て器の茶筅版で、自動でお茶を点てることができるものがあったらしい?!

ところが、使ってみるとものすごい音がするので、お蔵入りになったとか。
スイッチを入れてみると、確かにやかましい(笑)。

「お着物部隊」も興味津々で、最後にフェスタのスタッフにお茶を振る舞う際に、
「折角だから使ってみようよ!」
と、盛り上がったのだけど、……

結局、「機械で点てたお茶はイヤやね」、ということで意見がまとまり、使わず終いだった。
やっぱり人の手に勝るものはござりません(笑)。

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2014/05/15 (Thu) 集団的自衛権と中国の対日工作

安倍総理の私的諮問機関、安保法制懇(安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会)から報告書が提出された。
これを受けて5月15日に総理が記者会見。

外国で起こった紛争に邦人がまきまれた場合など、具体的な事例を説明して、現在の法整備では日本人の安全が守られない現状を分かりやすく説明されていた。落ち着いた話しぶりの中に、強い決意と高い志が現れていて、感動的な会見だった。

当たり前のことが当たり前に受け止められない日本とは、本当に不思議な国だ。
さっそくに朝日や毎日などの各メディアや、文化人・コメンテーターらが一斉に反論。
「戦争に巻きまれる懸念」「これまで平和だったのに、なぜ今更憲法解釈の変更が必要か」などなど、呆れるというかうんざりするというか……。

「第二次世界大戦以後、日本が戦争をせずに済んだのは憲法9条で戦争を放棄してきたから」
などという、お花畑的ポエムを、本当に信じているのだろうか。
アメリカの核の傘と日米安保に守られてきたからであることは明白だ。

世の中は相変わらず非現実的な議論が繰り返されているが、それでもここまできたことは大きな前進だと思う。
安倍総理の国を思う強い意志とリーダーシップでやっと普通の国への歩みが始まったようだ。


しかし、そんな安倍総理は中国から見たら大きな脅威であって、安倍下しの工作が加速しているのだとか。

4月13日(日)に放送された「たかじんのそこまで言って委員会」
引退したOBを中心に自民党内の水面下の動きが……。
これを「仁義なき抗争」として放送していた。
takajin sokomade itte iinkai 201404013 (1)s

その疑惑を持たれた政治家は以下の4名
古賀 誠
野中 広務
青木 幹雄
二階 俊博(衆議院予算委員長)

古賀氏は次の自民党総裁選で野田 聖子氏(自民党総務会長)を担ぎ上げようとしているという怪情報もあるという。

解説に立った鴻池氏の茶目っ気たっぷりな話しぶりには大いに笑った。
「バッチついてるもんなエエねん。責任とれるから。
 バッチもつけてへんモンが(引退した者が)、ごちゃごちゃ言うなよ…のう」

takajin sokomade itte iinkai 201404013 (5)s

takajin sokomade itte iinkai 201404013 (15)s


そして、4月30日(水)のスーパーニュースアンカーで、青山繁晴氏が奇しくも同じ動きがあることを指摘。
中国が消費増税での景気が冷え込むタイミングを狙って、4月政変を狙っていたという。
その内容は以下の通り。


super news anchor 20140430 (7)s


中国共産党が、親中派の政治家を使って、自民党を分裂させ安倍総理を孤立化させようと工作。
中国側が働きかけている政治家は以下の通り。

古賀 誠
野中 広務
野田 毅

古賀や野中などは見事に「たかじんのそこまで─」の情報と被っている。
これら親中派の政治家を使って、野田聖子氏を次の総裁に担ぎ上げようという動きは実際にあったようだ。
野田氏といえば、手段的自衛権への意見を問われて「自分にも子供がいる。戦争に巻きこまれるのは反対」などと、与党政治家とも思えない左翼マスコミに迎合したコメントをしていたのが気になる。
しかし、この話は一旦壊れて、次に中国は小渕さんの娘である、小渕優子元少子化対策担当大臣に接触を図っているという。
その上で、短期的には公明党 山口党首を担ぎ上げる動きもあるのだとか。


super news anchor 20140430 (11)s


さらに、5月7日(水)のアンカーでは、ますます激しくなる中国の対日工作の動きを紹介した。
今年の秋には北京でAPECが行われ、これに合わせて日中首脳会談が調整されている。
しかし、中国側は安倍総理の首を挿げ替えて実施しようと画策しているらしい。

安倍総理がヨーロッパ歴訪中にその工作は進められた。
高村正彦自民党副総裁が、中国を訪問。中国の人民大No3 唐家璇元外相と会った。
その際、政府高官によると、唐家璇元外相は「日中関係の悪化は、主として日本側に問題がある」と言い、問題は「安倍総理の靖国参拝」と「尖閣諸島問題」の2つに絞ってきた。
安倍を外して、APECでは自分たちにとて都合のいい総理と首脳会談をやりたがっているという。


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そこまでして、必死に安倍政権をつぶそうとするのは、裏を返せば安倍総理が久々に現れた優れた指導者ということに他ならない。
国内で、手段的自衛権があるとかないとか、低レベルの論争でまごまごしている場合ではない。
日本の場合、国内に左翼勢力と連動して足を引っ張る、マスコミや大学関係者などの勢力があるから困ったもんだ。
さらに、保守系であるはずの与党の中にも、中共と結びついて利権を得ている政治家の存在が明らかになってきた。

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2014/05/09 (Fri) 姫路のお酒 八重垣

地元姫路の酒造メーカーヤエガキ酒造のお酒「八重垣」を初めて飲んでみた。
ヤエガキ酒造の歴史は古い。祖先を辿ると藤原鎌足にたどり着くらしいが、古くからこの播磨の地では山田錦を原料として酒造りが盛んだったそうだ。
このヤエガキ酒造の創業は寛文6年(1666年)というから江戸時代前半頃のことだった。
お酒の名前がなぜ八重垣かと不思議に思って調べてみたら、明治時代に古い和歌からとったらしい。

このお酒は昔の製法で作られたとのこと。

飲んでみるとまろやかでふくよか。するっと喉を通り大変に美味しかった。
こんな美味しいお酒が地元にあったのに、今まで飲んでなかっただなんて。これからはちょくちょく飲むぞ。(笑)

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2014/05/08 (Thu) この時期の奇跡 筍の木の芽和え

常々「すごい!」と思うのは、筍に山椒の新芽を和えようとした先人のセンスだ。
ふたつの出会いは、まさに奇跡だと思う。

「好物は何?」と聞かれたら、私は迷うことなく「筍の木の芽和え」と答えるだろう。
少しの苦みと独特の風味、生命力あふれる筍に、山椒の新芽のえも言われぬ香りが魔法をかける。

そして、この時期にしか味わえないというのもありがたみを増している。
旬というものがなくなりつつある中で、竹かんむりに「旬」と書く「筍」は、旬の食材のありがたさを教えてくれる貴重なものだと思う。

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2014/05/07 (Wed) シンプルな革のトート

欲しくて買えなくて……、2年間くらい迷った末に消費増税前に購入した革のトート。
シンプルなつくりと、国産の丁寧な縫製、丸みのある優しいフォルムなどが気に入って、仕事に休日に活躍してくれている。

このお店は2年前に東京へ行った時に、丸ノ内ビルディングで見つけた。
どのバックもシンプルで、素材のよさが生かされている。
関西では京都と神戸に店舗があるとのことで、そこから何度かお店に通い、ようやく今年になって購入できた。

このバックを持って某高級皮革ブランドのショップを冷やかしに行ったら、“店員さんの目が釘付けになっている…”ような気がした。「むふふ、いい感じでしょ(笑)。」


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2014/05/06 (Tue) 琵琶湖にうかぶ聖域 竹生島(ちくぶじま) 

2月頃から近江の日帰り旅行を楽しんでいるが、今回は新緑の竹生島を訪れた。
琵琶湖に浮かぶ周囲2キロの小さな島で、都久夫須麻(つくぶすま)神社と行基が開いた宝厳寺がある。
島全体が霊場となっているとのこと。


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「深緑竹生島の沈影」が、琵琶湖八景のひとつに数えられる竹生島


長浜港からフェリーに乗り、約30分ほどで島へ到着する。
小さな可愛らしい島がぽっかり浮かんでいる。
それがみるみる近づいてくると、険しい斜面に神社仏閣がや朱塗りの鳥居などが見えてきた。


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165段ある石段を上ると、その先にきらめく新緑が見える


石段は思ったよりきつくない。
お天気もよくさらっとした空気の中で散策するにはちょうど良かった。
歩いている途中で、シャーーッという音がした。見てみると長い蛇が茂みを動いているではないか。
これは縁起がいいかも知れない。


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本堂 弁財天堂を覆う新緑


宝厳寺は西暦724年に行基が開いた寺で、西国三十三所観音霊場・第三十番札所になっている。
ご本尊は日本三大弁財天のひとつだそうだ。


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島から琵琶湖を望む


重塔へ向かう途中、琵琶湖が綺麗に見える場所があった。
結構な断崖絶壁で、湖の青と新緑が美しい。

塔の近くには、豊臣家の家老職であった片桐且元が植えたという「もちの木」があった。
どこかで聞いた名前……、秀吉死後、どこぞの寺の鐘に「国家安康」の文字を入れたことから家康に難癖をつけられた時のご家老さんだ。あまり切れ者でないイメージがあるが、賤ヶ岳の戦いでは七本槍の一人だったという。


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楓とつつじ


もちの木の先には鮮やかな朱色の三重塔があった。
1484年に落雷で焼失したものを、2000年に再建されたものだという。

そこから、石段を下っていくと、唐門が姿を現す。
秀吉が築いた大阪城極楽橋の一部だとか。現存する大阪城の唯一の遺構であり国宝に指定されている。

何かにつけて派手好みの秀吉の名前を目にすると、何となく俗っぽい気がしてならないが、貴重な建物であることは間違えない。


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国宝 宝厳寺・唐門


唐門から建物の中へ入り、長い廊下をくぐっていく。
秀吉が寄進した御座船「日本丸」を利用して建てられたのだとか。
現在改築中だったが、十分に見学することができた。

廊下を渡ると、都久夫須麻神社へと通じる。
建物は伏見城の遺構と伝えられているとか。これも国宝だが写真を取り損ねてしまった。


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かわらけ投げの鳥居


本殿を少し下ると、龍神拝所があり、ここでかわらけ投げができる。
素焼きのお皿のようなもの)に、願いを書いて投げたものが、正面の鳥居をくぐるとその願いがかなうそうだ。
割れた「かわらけ」で鳥居の周りは白い砂利を敷き詰めたようになっていて、琵琶湖との対比が美しかった。


<関連記事>
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2014/05/18 黒田氏発祥の地 木之本と賤ヶ岳

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2014/05/05 (Mon) 日米首脳会談の真相

オバマ大統領の日本訪問は、初の国賓待遇にも関わらず、ミシェル夫人んが同行しないとか、迎賓館に宿泊しないとか、すきやばし次郎での非公式会談など、異例づくしのものだった。
オバマ大統領の失礼な態度に随分と腹が立ったが、それでも、尖閣諸島が日米安保の対象であることを明言するなど、日本の安全保障にとっては重要な言質をとることができた。


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先日のスーパーニュースアンカー水曜日によると、この会談に意外な背景があったらしい。
青山氏は、複数の政府関係者、インテリジェンスに取材。その結果、この会談の功労者はキャロライン・ケネディ駐日アメリカ大使だという。最初聞いた時は、「確かに寿司屋会談でも同席していたけど、本当だろか?」とはてなマークが飛び交った。

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青山氏によると、先月7日に安倍総理とケネディ大使が官邸で昼食をとった。
この時に限らず、二人は何度も会っており交流を重ねていたが、それもあってか、この昼食でケネディ大使は安倍総理を好意的にとらえたらしい。

その後、ケネディ大使はすぐにアメリカへ飛び、ホワイトハウスでオバマ大統領と極秘で2時間話をした。

そして、昼食から1週間後の14日に、安倍総理が突如、「河野談話の見直しはしない」と発表したのだという。

先日、この決定について散々嘆いたものだが、やはり裏があった。
オバマ―ケネディ会談で一体何が話されたのか?

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ケネディ大使は、「安倍総理は右翼でも歴修正主義者でもなく、オバマと同じ現実主義者だ」と強調。
その上で、以下の3点を進言したという。
まずは、「日本滞在を1泊ではなく2泊3日にすべし」
さらに、「明治神宮を参拝し日本文化を尊重する姿勢を表すべし」
そして、「尖閣諸島を日米安保の適応対象であることを明言すべし」

オバマ大統領は自らもインテリジェンスを使って安倍総理の信条などを確認しケネディ大使の言葉を信用した。
そして、このケネディ大使の進言は3点とも現実のものとなった。

安倍総理はこのことへのお礼の意味もあり、アメリカへサービスする形で「河野談話見直しをせず」と言う発言をしていた。これは、尖閣諸島の重要性など大局的に捉えての、現実主義者としての安倍総理の決断だったのだろう。

番組中、青山氏はマスコミの報道もあり、ケネディ氏について先入観を持っていた、不明を恥じたいと言われていたが、誰がこのことを想像できただろうか。
ケネディ氏といえば、イルカ漁を一方的に避難するツイートや、百田氏の選挙応援演説で、NHKのインタビューを断ったなど、「しょせんは政治能力のないお嬢様」という印象が強かった。私も苦々しい思いでケネディ大使の発言を聞いていたが、今回のことで見方が一変した。
これからもケネディ大使が日米の懸け橋となってくれることを期待したい。

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2014/05/05 (Mon) 田舎のバス停

かつての職場への通勤道は、田圃の合間の田舎道を通っていくのだけど、この時期、農家の柿の木が美しい。
道のあちこちに柿の木が植えられていて、新芽の若々しい緑がつややかに輝いている。


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私が好きなスポットの一つがこのバス停。
ちょっと傾いた標識と、背景にある柿の木が、いかにも田舎のバス道という感じで気にっている。


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バス停には標識があるだけで、ベンチなどは一切ない。
この辺りの人は車がないと行動できないということで、家に何台も車を持っていたりして、乗り降りする乗客もあまり多くないのだろう。


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バス停の向かい側には一面の麦畑が広がっている。
そよそよと風になびいて緑の絨毯を敷き詰めたようだった。

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2014/05/05 (Mon) 黒田官兵衛ゆかりの場所を訪ねて

今年の大河ドラマは地元の姫路で生まれた黒田官兵衛が主人公ということで、毎週楽しみに見ている。
今は、毛利攻略の前にした播磨平定の真っただ中で、現在でも駅名や町名になっている場所が登場するので、地元が一時歴史の舞台になっていたのだと思うと、ワクワクとした気持ちで、にわか歴女になっている今日この頃だ。

地元の意外なところに史跡があるというので、ゴールウィーク後半戦の休みが始まった5月3日に、ぶらっと訪ねてみることにした。


◆毛利攻めの軍議を開いた加古川城

加古川駅から徒歩15分ほどのところにあるのが、加古川城址 称名寺(しょうみょうじ)。
2号線沿いを少し西へ歩いていくと、空き家になった家やシャッターを閉じたままの商店が目立つ。
やがて、閑静な住宅街の真ん中にお寺を見つけた。ここがかつて加古川城があったところだという。


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称名寺


天正5年(1577年)に播磨に入りした羽柴秀吉は、この加古川城で、毛利討伐の軍議を開いた
ところが、そのころ西に巨大な勢力を保持していた毛利氏の力を恐れ、多くの城主が毛利方へつき、評定は失敗に終わった。

城主は、別所長治に仕えていた糟谷助右衛門という人で、後に秀吉につき従い小姓頭となって三木合戦などを戦った。
賤ヶ岳の合戦では、有名な賤ヶ岳七本槍の一人で、一番槍の武功を挙げたという。この功績により大名に取り立てられたが、関ヶ原の戦いで豊臣方についたことから家は断絶し、城も破棄された。
現在は、称名寺というお寺になっている。


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境内には大きな銀杏の木がある



◆若かりし頃を過ごした御着城付近

JR山陽本線の「姫路駅」からひとつ東側の「御着駅」から徒歩10分のところには、若かりしころの官兵衛が仕えていた小寺家の居城である御着城址がある。現在は公民館になっているが、大河ドラマにあやかって観光ボランティアが常駐するわ、案内用のDVD放映はするわで、ちょっとした地元の観光スポットになっていた。


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今は公民館になっている御着城址


ここが、あの鶴ちゃん(小寺政職)のいたお城かぁ……と感慨深く敷地を歩いた。
御着城は別名、「茶臼山城」「天川城」とも呼ばれ、別所氏の三木城、三木氏の英賀城と並び播磨三大城のひとつ。当時は大きな勢力を誇っていたそうだ。
今は敷地の中を国道2号線が通っており、敷地に残った石碑が、当時の歴史を語りかけるのみだ。
すぐ近くを天川が流れているが、この川が天然の堀になっていたとのこと。城郭の中に西国街道(山陽道)や城下町を取り込んだ、当時としては珍しい「惣構え」と言われる造りであったとか。


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黒田家廟所


御着城址のすぐ西隣には「黒田家廟所」がある。
ここには官兵衛の祖父ある黒田重隆と生母が祀られている。
祖父の重隆は、姫路市の北側にある広峯神社あたりを拠点とし、目薬の木から起こした商いによって黒田家を盛り立てたらしい。


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旧西国街道


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昔の面影をとどめた家並み


少し歩くと、旧西国街道があり、あたりは昔の家並みが保存されている。
江戸時代にはここを参勤交代の大名行列が通っていったのだろう。
また、狭い一体に多くの神社仏閣があって、信仰心の熱い土地柄だったのかも知れない。


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御着城攻めの際、秀吉の本陣となった庚申堂


やがて小寺氏は秀吉に反旗を翻したことから、天正7年(1579年)秀吉に攻められて遂に落城する。庚申堂はその際に秀吉が陣を敷いた場所と言われ、傍らには樹齢600年とも700年ともいう榎が大きく枝を広げていた。

御着は、ふだんは姫路に行くときに通り過ぎるだけの場所だったが、歩いてみると静かで雰囲気もよく、またあちこちに史跡があって魅力的な町だった。

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2014/05/04 (Sun) いちごクリームのようなベースクリーム

小林照子 美・ファイン研究所の「ミエルボーテ デイタイムスキンケアペースト」。
これも出会いは某ショッピング番組だった。
小林照子さんは御年79歳というけど、まったく信じられないようなすべすべのお肌。語り口が親しみやすくて引き付けられた。

このいちごクリームのようなペーストは、みつばちから採れる蜜蝋から作られている。
1つで美容クリーム、肌色補正、シワを目立たなくする、紫外線防止、化粧下地の機能があって、お休みの日はこれだけでも十分過ごすことが出来るし、ファンデーションの前にさっと一ぬりしてもいい。

中に小さなブラシが入っていて、これで塗ると薄く均一に伸ばすことができる。
ひんやりした感触とほのかな香りで心地いい使用感で、肌色を自然と明るく補正してくれるのが気に入って使っている。
ピンクのコロンとした可愛い容器も魅力的。


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ころんとした可愛い容器

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中には小さなブラシといちごクリームを思わせるようなペースト


美・ファイン研究所HP
http://be-fine.shop-pro.jp/?pid=31344494

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2014/05/03 (Sat) 憲法論争

憲法記念日の今日、改憲か護憲かの論争が例年になく活発だったように思う。
巷では、日本国憲法がノーベル平和賞にノミネートされたなどというばかばかしい話も起こっていて、例によって共産かぶれの朝日や毎日などがもてはやしている。憲法9条改正に大反対の彼らには格好のプロパガンダの材料だろう。

最近の私は、憲法は改正するのではなく、廃止して新しい憲法を作るべきだという考えに傾いてきた。
とはいえ、マイナーチェンジだけでもこれだけの反対にあっているのだから、新憲法となったら収集がつかなくなるかも知れないな。

日本も一日も早く、平和を唱えていたら戦争をしなくてもいい、などという甘っちょろい幻想から目覚めて、他国からの侵略を受けず、他国と対等に話をすることができるだけの国の備えをもった、「普通の国」にしなくてはいけないと思う。沖縄を切り取ろうと虎視眈々と狙っている中国や、ソ連回帰に走るロシア、核を持つに至った野蛮なる北朝鮮など、獰猛な獣のごとき国に囲まれているのだから。
そのためにはさっさと憲法を改正して、「寄らば斬るぞ」と言える国にならなくては、枕を高くして眠れやしない。

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2014/05/01 (Thu) 絵画のある職場

新入社員研修のヘルプで1か月だけ、研修施設のある事業所へ通っていた。
そこは、ロビーや廊下、会議室に絵画が飾られている。
その中でも私が気に入っている1枚がこれ。

オシャレなヨーロッパの風景を描いたもので、地上の公園とポスターが飾れれた地下鉄のホームの景色が合体した不思議な構図になっている。日常の風景を切り取った何気ない雰囲気の絵だけど、明るい色彩で見ているだけで気持ちが明るくなる。

SC Isao Nishimura 20140421_04s

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Author:つき
普段は虎を肴に大好きなお酒を楽しむオヤジ系。かつては米(米米CLUB)を追いかけ、今でもコンサートには顔を出す。さらに歌舞伎や時代劇を愛し、手ぬぐいをコレクションし、和菓子屋やスイーツにも目がない。茶道をちょっとだけかじり、日本文化のキーワードには反応してしまう。身体を動かすことは得意でないけど、タイガースと職場の陸上チームを応援してます。

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