「よもやま日記」//身の回り出来事や心に浮かんだ独り言、お気に入りのもの、日常の風景を切り取った写真などなど、思いつくままに書いてます。

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2014/03/30 (Sun) 駆け込み需要

この4月1日から消費税が5%から8%に増税される。
巷では日用品や高額品などを中心に駆け込み需要が増えているらしい。

当初、「そうは言っても、どうせ4月になれば安売りするって。」「踊らせるだけアホや」と思っていたのに、まんまと駆け込み衝動買いのワナにハマってしまった。
買ったものは、ワインに化粧品にティッシュペーパー、トイレットペーパー、そして前から欲しかったカバンと春のスーツ……。結構たくさん買ってしまったなあ。

財政赤字が膨らむ中、消費税増税は仕方がないことだろう。いたずらに反対するのは無責任に極みだと思っていたが、どうやらそうでもなさそうだ。

かつて、消費税を増税して景気が良くなったことはないことは歴史が証明しているらしい。
景気を改善し、2~4%程度のインフレに誘導することで、実質の借金が減っていくのだとか。
マスコミの増税やむなしの論調をよそに、ノーベル経済学者のクルーグマン博士やイェール大学浜田宏一教授など、多くの学者が増税や緊縮財政が間違えであることを説いている。
さて、この増税がアベノミクスにとってどういう影響になるのかを、駆け込み需要に踊らされながら見ていくことにするか。

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2014/03/29 (Sat) 桜のお菓子

東京では既に桜が開花しているらしい。今年は早いなあ。

花の季節は、花を待ち焦がれてそわそわしてしまう。

今日の「おめざ」は吉野の優しい山桜を思わせるようなお菓子にしてみた。

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鶴屋八幡「吉野桜」

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2014/03/26 (Wed) 河野談話、見直さずとは…

アメリカ、オバマ大統領の強い意向により、ようやく日米韓の首脳会談が実現した。
北朝鮮の体制が長く持たないことから、朝鮮半島情勢に強い危機感があったと言われている。
日本にしてみれば、韓国との首脳会談を急ぐ必要など何もない。アメリカの顔を立てただけの話だ。

ただ、北朝鮮崩壊後の体制をどうするかについては、もちろん議論に参加して日本の国益を守らなければならない。そいういう意味では会談に参加する意義はあった…はず。

それにしても屈辱的なのは、会談実現のために、安倍総理が「河野談話の見直しはしない、新たな談話を出す予定もない」と明言したことだ。
2月20日の衆議院予算委員会で、石原信雄元官房副長官の証言により明らかになり、菅官房長官が調査を命じたばかりだったのに……。

アメリカの強い圧力に屈したのだろうか。首脳会談と引き換えに韓国との関係改善を臨むアメリカの要求を飲んだのか。安倍さんと言えでもアメリカには勝てないのか…とやるせなさや憤りが渦巻いた。

スーパーニュースアンカー水曜日の青山さん解説によると、どうやらそうではないらしい。
安倍さんなりの考えに基づいたもの「らしい」が、そういう青山氏にも悔しさがにじんでいた。
しかし、残念ながら詳しい「裏事情」は番組でも述べられなかった。

従軍慰安婦問題は、朝日新聞の誤報から端を発して、それを韓国が外交カードとして利用し始めたもの。
その後、調査を行っても、強制的に連行されたという事例は見つけることが出来なかった。
「お金のために慰安婦になった」というのが真実のところだ。
戦後になり、慰安婦自身から声が上がらなかったのは、当然そのような過去は伏せたいからだ。
そして慰安婦は日本人も多くいた。

韓国側に「補償の対象とするために、強制的に連れてこられたことにしてほしい」と要請されて、日本側が人道的な見地から「強制的に」ということを認めてあげたという話もある。

それなのに、何も知らない諸外国の人々は、韓国の声高なプロパガンダを鵜呑みするのは耐え難い。
「性奴隷」という言葉が使われ、日本が女性を虐げる野蛮な国だと誤解されているとは何たることだろう。

誤報を流した朝日新聞は謝罪することもなく、上塗りするかのように日本を貶める報道を続けている。
河野談話は閣議決定も行っておらず、正式な政府の談話ではない。それなのに、あたかも水戸黄門の印籠のように扱われていることが非常に悔しい。

長期的な視点に立った戦略があったらしいが、「河野談話の見直しをしない」という明言したことは、韓国のロビー活動に屈したようで、安倍政権になって一番がっかりしたことだった。

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2014/03/23 (Sun) 長浜の蝋梅、姫路の桜

長浜のレストラン「洋屋」に咲いていた蝋梅。
まだまだ春と言うには、冷たい空気が辺りを包む中で、早春の光を浴び、輝いていた。

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長浜 太閤秀吉の茶亭門に咲いていた蝋梅

一方、姫路城の桜は、まだ固いつぼみだった。
静かにその時を待っているようだった。

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姫路城の桜

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2014/03/23 (Sun) 黒田官兵衛展

兵庫県立歴史博物館に黒田官兵衛展を見に行ってきた。

新快速で、黒田官兵衛が産まれた地、姫路へ。
途中通り過ぎる駅は、「姫路別所」や「御着」など、「昔の地名がそのまま残っているんやなあ。」と、改めて興味深い。
今まで、何とも思わず通り過ぎていた駅名が、特別な響きを持ってくるから不思議だ。


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▲姫路 大手前通り


大河ドラマでは、官兵衛の苦労が描かれている。「毛利か織田か」で揺れる播磨。
諸侯をまとめ上げ、織田方に付く決めたのに、その後の織田軍のへの敗北で動揺が走っていた。
その空気を吹き払うため、官兵衛は秀吉軍の到来を待ちわびた。
長浜から姫路は近いようでいて遠かった。その距離は短いようで長い。官兵衛の焦りが、分かるような気がする……。

姫路に着いた。姫路駅を降りて北へ上がっていくと、街には黒田官兵衛の幟が立ち、歓迎ムード満点だった。
兵庫県立歴史博物館は姫路城のすぐ北側にある。改装中のお城の東側を迂回して北側へ回った。
御堀の景色が美しい。姫路城の横手、裏手を歩いたのは初めてだった。


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▲姫路城東側のお堀赤レンガが印象的な私立美術館を抜けて、やや地味な作りの県立歴史博物館へ到着。
中へ入ると巨大な姫路城のレプリカがあって、その横の階段を2階へ上がると「黒田官兵衛展」の会場へ着いた。


この展示では、播磨時代から、三木城攻め、秀吉の軍師となって活躍する本能寺の変、備前中国攻めからの大返し、天下統一と秀吉の怒りを買い出家する官兵衛の一生を辿るように数々の品物を観ることができる。

信長や秀吉直筆の出陣を命じる書状や、合戦の陣立てを描いた絵画、官兵衛の鎧、領地での盗みや狼藉を禁じる書付など、当時の様子を知ることのできる様々な資料があって興味深い。よくぞ残っていたものだと感心する品々ばかりだ。

中でも私が一番見たかったのは、官兵衛が岐阜へ赴き、初めて信長に謁見した際に拝領した、圧切り長谷部(へしきりはせべ)。かつて信長に無礼を働いた茶坊主を隠れていた机ごと斬ったという謂れのある名刀だ。
刃の部分に波打つ模様があり、美しいような冷たいような不思議な魅力があった。

展示品の中には、官兵衛直筆の手紙や遺言状もあった。
息子長政への手紙では、「自分の子が当主の力量がなければ跡継ぎにしてはならない」とか「家を守っていくためには、家臣が心を一つにすることが大事だ」といった、官兵衛の哲学が垣間見えた。

それにしても、実物が残っているというのはすごいことだと思う。タイムスリップというわけではないれど、当時をうかがうことができる数々の資料に触れることが出来て楽しい一日だった。

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2014/03/22 (Sat) スチールパンに秘められた民族の誇り

そのような楽器があることを、何となく知ってはいたけど、3月20日の地球イチバンの放送を見てその素晴らしさを知った。

カリブ海の小さな島、トリニダート・ドバゴ共和国の国民的な楽器。これはドラム缶から作られる楽器だ。
この楽器の誕生は、20世紀最後にして最大のアコースティック楽器発明と言われているが、作る過程が面白い。
ドラム缶の蓋部分を木槌で叩いて、お椀のように窪ませ、さらにそのお椀部分を細かくブロッキングした上でより更に小さいくぼみを持たせることで、音階を作る。バチで叩くと、共鳴して何とも言えないいい音がする。

ドラム缶の筒部分を短くすると高い音を出し、長いままだと音色の低い楽器、いわゆる「バス」になる。
ソプラノからバスまで、様々なスチールパンがあり、組み合わせて合奏をすると圧巻だ。
学生から社会人まで楽しそうに演奏する姿を見て、こちらも楽しくなってくる。

しかし、その底抜けの明るさの裏に隠された苦難の歴史がある。


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トリニダード・ドバゴの美しい眺め


15世紀、トリニダート・トバコはコロンブスにより発見されて以来、アフリカから多くの奴隷が連れてこられた。
その後、イギリスの植民地となり、多くの奴隷たちは厳しい労働の慰めに、島にある材料を使ってパーカッションを作りそれを叩いていたが、魂の高揚により政府に反逆を試みることを恐れたイギリスがこれを禁じる。
住民は、今度は竹を切って「タンブーバンブー」という楽器を作り出したが、20世紀に入り、道路を傷つけるという理由から、またもやイギリス政府はこれを禁じた。
楽器の演奏を禁じられたも、彼らは音楽をやめることはできなかった。警察の目を免れて抵抗を続けた。
貧困地区のラヴァンティルでは人々が鉄くずなどで楽器を制作し、演奏することで鬱憤を晴らそうとしていた。
そんな時に石油が産出され、人々はプラントから、もらい受けたドラム缶で楽器を作った。それが、「スティールパン」だ。


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音楽は生きることそのものという島の人々


トリニダード・トバゴでは世界最大のドラム缶音楽コンテスト「パノラマ」が開催されいて、2月に行われる大会が近付くと有力なチームが毎晩深夜まで練習を重ねていく。
街では、貧しさから犯罪が絶えないが、取材のあった日も突然、銃声が響いて練習が中断させられた。
それでも彼らは練習をやめようとはしない。銃声が収まると、その演奏は一段と明るさを増していった。
そこには、何者も自分たちの音楽を妨げることはできない、という強い信念があった。
「音楽が守ってくれる」「音楽を続けている限り弾は飛んでこない」といった言葉が口々に飛び出すのが印象的。
音楽にかける真摯で真っ直ぐな思いが伝わってくるようだ。

ただ、単に音楽が好きというだけではなく、そこには民族の誇りや悲しみや抑圧を乗り越えて生き抜こうとする力強さがあった。

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番組のナビゲータであるミュージシャン浜野謙太氏は、かつて東日本大震災の時に、音楽をすることに罪悪感や葛藤を味わったことがある。
音楽に命を懸けているような彼らなら、どうしただろう。そんな疑問を最後にぶつけたのだが、その時のシンプルな答えが印象的だった。
「自分たちもそんな時には音楽はやらない。大勢の人が亡くなって生きることも大変な時に必要なのは音楽じゃない。でも1か月もたてば、再び音楽を始めるだろう。人生には悲しみがつきものだが、それでも俺たちは前へ進まなくては行けない。そのために音楽が必要だ。」

背負った歴史や人種が違っていても、人は同じなんだと思った。
この誇り高き、カリブ海の島国をいつか訪れてみたい気がした。

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2014/03/21 (Fri) 17分の7

先日、うちの部署の送別会があった。
うちの部署は合計17名。そのうち、退職する人が1名、他の部署へ移る人が6名の計7名が送られる人。つまり17分の7名だ。(無茶苦茶な人事や。)

異動する人の中には、長年の功労者もいて、盛大に行いたかった。しかし、主賓が多いため会費が厳しく、花束なども無になってしまった。
昨年、私が本社へ転勤になった時に、みんなに心のこもった演出をしてもらったことが思い出された。これまでの貢献に応えるものにできないものか……。
主賓と長く仕事をした人に相談して、「お金をかけずに思い出になるものを」ということで、連日お昼のランチョンでの作戦会議をして案を練った。
仕事とは関係なかったけど、こういうことがあると団結したような気分になるなあ。

退職する人へのアルバム、ミニブーケ、これまでの写真と主賓へのメッセージを載せたてスライドショーなど、みんな協力してくれて当日を迎えることが出来た。

私の自画自賛のアイデアは、フリードリンクメニューを自作するというもの。
お店に頼んでドリンクメニューを送ってもらい、主賓7名の名前やエピソードをもじったドリンク名にして、当日差し替えておいた。
例えば、「山田さん」という人がいたとすると、日本酒に「山田錦」を入れる、といったようなもの。
困ったのは外国人だったが、これもなんとかこじつけてドリンクメニューに盛り込み、しかも日英両面にした。もっとも外国人には日本語のダジャレを英訳しても意味が通じずに、口頭で一生懸命説明をしなければいけなかったが…(笑)。
それでも気持ちは通じたようで、「チャーミング!」と言ってくれた。

そんなこんなで、少しはいい送別会になったのではないだろうか。
二次会は、外国人も一緒にフィリピンパブに連れて行かれていた。ノリについていけず目を白黒しているのがちょっと面白かった(笑)。


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2014/03/15 (Sat) 早春の近江路 その参 ― 長浜 ―

琵琶湖一周“乗り鉄”の旅では、長浜で途中下車して町を散策を楽しんだ。

長浜は秀吉が築いた町として知られている。1573年(天正元年)羽柴秀吉は、浅井氏との戦いの功績によって大名に取り立てられると、この地に長浜城を築いた。
現在の天守閣はのちに再建されたものだが、街を歩く外堀跡などあって、当時の面影を残している。

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▲長浜城外堀跡の史跡

駅のすぐ西側に長浜城がある。ちょうどこの時、大河ドラマ「黒田官兵衛」を記念して特別展示が行われていた。
何故、長浜で黒田官兵衛展なのだろう? どうやら官兵衛の祖先がこの長浜付近の出所だったとか、官兵衛の息子、松寿丸が信長への人質としてこの城で一時期を過ごしたとか、賤ヶ岳の合戦で官兵衛が活躍したといったことからのようだ。


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▲正面からの長浜城

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▲裏手(琵琶湖側)からの長浜城


派手なポスターが逆に見る気を削いでしまって、官兵衛展を素通りして裏手の琵琶湖岸へ降りて行った。
長浜城は表から見るより、琵琶湖側からの方が見上げる形になることや自然と一体になった感があって趣がある。

何より目の前に広がる琵琶湖の美しさにしばし時を忘れた。
この景色を秀吉がおねと一緒に見たかも知れない。
温かい光に包まれたこの風景が、以前に書いた湖北のマキノ、近江塩津、余呉と同じ日のものとは、にわかに信じがたい感じだ。

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▲長浜城から琵琶湖をのぞむ

湖の中に石碑のようなものが立っている。
秀吉が長浜城築城の際に作らせた井戸だそうだ。

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▲大公井戸


少し琵琶湖の岸辺を歩いてみることにした。
すると、水鳥が驚いたように沖へ離れていく。
折角羽を休めているところを邪魔してしまったようだ。

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▲きらめく湖面


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▲湖岸を歩く


湖の北側には曇り空の中に賤ヶ岳と思われる山が見えている。
近江のどこを切り取っても、歴史のロマンが溢れているようで心楽しいものがあった。
自然の豊かさも感じられるし、山々に囲まれ、琵琶湖を中心とするこの地域全体が、何か神聖な雰囲気すらある。


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▲長浜から琵琶湖の北側を望む


しばらく琵琶湖の眺めを楽しんだ後、長浜の街歩きをすることにした。
北国街道を中心としたこじんまりとした一角に古い家並みが残っている。
4月のリニューアルに向けて改装中のところが何か所もあった。

北陸へ向かう北国街道に面した通りに、京都の商家を思わせるような家が一軒。
明治時代に建てられた商家を残してあるとのこと。安藤家は室町時代に長浜に移り住んだ旧家で、秀吉によって町の自治を束ねる「長浜十人衆」に選ばれたとのこと。
明治になって呉服を商うようになった安藤家には、当時親交のあった魯山人の篆刻などが保存されているとのこと。


300円で見学できるというので、入ってみることにした。
「播磨の国から来ました」と言うと、受付に出てこられた方がすかさず、「黒田官兵衛の」と返された。
「姫路・加古川近辺の人は最近とても多いですよ。」とのこと。

磨き上げられた廊下を進んで部屋に入ると、大きな木の看板が展示されている。北大路魯山人の作とのことだ。
その他、当時の着物や器などが展示されていた。
どれほどの価値があるものか、私にはよく分からなかったけど。

部屋で面白かったのは障子の造り。
障子は部屋によってそれぞれ違っていて太い枠の障子もあれば、床に作られたものは枠も細くて繊細だった。

庭は池泉回遊式庭園という造りで、気鋭の造園家である布施宇吉が手掛けたそうだ。


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▲北国街道安藤家

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▲北国街道の雰囲気


北国街道付近の旧市街地は、古い街並みを生かした「黒壁スクエア」という一角があり、いろんなお店やギャラリーになっている。
せんべいやきんつばなどのお菓子を店先で焼いていて、いい匂いが漂っている。ちょっと行際悪いけど、それを頬張りながら歩くのも楽しい。


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▲秀吉公と長浜とのつながりの深さが感じられる「太閤ひょうたん」

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▲秀吉公茶亭門


その一角に、太閤秀吉公が長浜時代にここで茶をたしなんだとされる「茶亭門」があった。
残っているのはこの門だけで、ここから中へ入ると現在は「洋屋」と言うレストランになっている。
折角だから入ってみた。

中は、白い漆喰に茶色い材木が印象的な、古い洋館という雰囲気だった。
ちょっと小腹がすいていたので、ケーキセットにしようと思いながら、オーダー直前に気が変わって「洋屋プリン」を頼んでみた。


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▲可愛いボトルに入った「洋屋プリン」


スプーンを入れると、硬さが印象的。しっかりした硬さのあるプリンは私の好みだ。
地元の牛乳で作られているとか。カラメルをかけながらいただくと、とても美味しかった。
隣のテーブルでは、見るからに長居をしている感じの、地元の若いお母さんグループがいて、子育て談義に花を咲かせている……とても居心地のいいお店だった。


現在長浜は、改装ラッシュ。大河ドラマ「黒田官兵衛」もあって、観光客誘致に力を入れているのかも知れない。だとしたら、もう少し早く完成できるとよかったのだろうが、春の行楽シーズンには何とか間に合わそうとしているようだ。

「長浜」は「近江八幡」と並んで、昔の街並みが魅力だが、京都・大阪方面から行くとなると、地の利もあり規模も大きい「近江八幡」とどう違いを出していくかが課題なのではないだろか。
町を歩いていると長浜を魅力的な街にしようという意気込みのようなものも感じられる。
こじんまりとしていて素朴さもあり、戦国の歴史を感じることが出来るのも魅力のひとつ。
また訪れてみたい街だった。


<関連記事>
2014/02/28 早春の近江路 その壱
2014/03/08 早春の近江路 その弐
2014/05/06 琵琶湖にうかぶ聖域 竹生島(ちくぶじま)
2014/05/18 黒田氏発祥の地 木之本と賤ヶ岳

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2014/03/15 (Sat) 熊野筆のメイクブラシ

某テレビのショッピング番組で衝動買いしたメイクブラシ。熊野筆とは和歌山のものかと思っていたら、それは間違いで広島県安芸郡熊野町で作られているのだとか。

これは、広島筆産業という会社のもの。元は書を書く筆を作っていた老舗で、創業は明治14年という歴史のある会社だそうだ。
恐らく書道用の筆だけではニーズが減ってきたために、化粧用の筆に分野を拡大したのだろう。

このメイクブラシは、プロモーショントークによると1本1本職人さんが手作りで製作しているとかで、品質にはかなりの自信を覗かせていた。

早速購入してみると、とにかく肌に触れた時の柔らかさが違う。本当に気持ちよくて手放せないものになった。

まずは、リキッドファンデーションブラシ。
ヤギの毛で作られていて、適度な腰があり、しかも柔らかい。毛を一切カットしておらず、1本1本長さを揃えた上で、質の良くない毛を丁寧に取り除いて作られているとか。
リキッドファンデを肌にチョンチョンと乗せて伸ばしていくと、薄付きでとてもきれいにファンデーションが伸びていく。少ない量で均一に伸ばすことができるので厚ぼったくならずにとてもいい感じ。

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▲リキッドファンデーションブラシ


次に、パウダーブラシ。
これもヤギの毛でできているらしい。こちらは見た目先ほどのリキッドファンデーションブラシとは随分違う。種類が違うのか部位が違うのかその辺はよく分からない。

たっぷりとしたボリュームで毛がとても柔らかい。肌をくすぐると柔らかくて本当に気持ちがいい。
そして、宣伝どおり粉含みと粉離れが非常によくて薄く均一にパウンダーを乗せることができる。それでいてしっかりとメイクできる優れものだ。

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▲パウダーブラシ

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2014/03/09 (Sun) 東京大空襲

3月9日はサンキューの日、なんてノー天気なことを思っていたのだけど、サンキューどころの話ではなかった。東京大空襲があったのがこの3月9日だったとか。

最近、朝ドラの「ごちそうさん」でも大阪大空襲が描かれていて、戦争の悲惨さに胸が塞がれるような思いがしていたのだが……。

先日、作家の百田尚樹氏が、東京都知事選で田母神候補の応援演説に立った折、東京大空襲と広島、長崎の原爆投下を「大虐殺」と言って物議を醸しだすという出来事があった。
私から見ると、ごく当たり前のことを言ったまでで何が問題なのかよく分からない。

今日、たかじんのそこまで言って委員会に出演した百田氏が改めて持論を展開そていたが、マシンガントークに大いに笑った。(話題はシリアスだけど、そこはあの「そこまで言って委員会」のことだから……)

それによると、かつてのアメリカは事前に日本家屋のセットを作り、より効果的に市民を殺傷するための実験をした上で実行したのだとか。攻撃の仕方も残虐そのもの。一度千葉へ旋回して空襲警報が解除され自宅へ戻る時期を見計らって再び襲来し、東京を焼野原にしたそうだ。

百田氏はアメリカの公文書も綿密に調べて発言していているし、同じことは加藤英明、ヘンリー・S・ストークス両氏による「なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか」にも詳しく書かれているから出鱈目とは言えないし、アメリカ側もこれ以上自らの残虐な行為に蓋をして一方的に日本を貶めることはできなくなってきているのではないか。

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このところ、大東亜戦争を正しく検証しようという動きが起こっていて、少しずつ国民が自虐史観、東京裁判史観から解き放たれ始めてきた。日本がすべて悪かったという占領政策で刷り込まれた考え方を固持する、朝日を初めとするマスコミだけが取り残されている形だ。

「私は別に、アメリカを許せない、とかそういうこと言いたいわけでない。ただ、決して我々は忘れてはいけないから言っている」という百田氏には賛成だ。

アメリカは、大東亜戦争で当時明らかに国際法に違反する、非戦闘員の無差別殺傷を行った。その罪は戦争に勝ったということから裁かれることはなかった。一方的に日本のみが、当時の国際法で存在していなかった「平和に対する罪」などで裁かれたのだ。日本はロサンゼルス講和条約で東京裁判の判決は受け入れたが裁判そのものを受け入れたわけではない。

アメリカは決して認めようとはしないだろうし、日本の人々が、東京裁判史観から目覚めることを、徹底的に阻止してくるだろう。
しかし、アメリカは日本を見損なっている。日本は中国や韓国と違って過去を水に流す国だ。
むしろ両国の関係をより強くするためには、過去の過ちに嘘で塗り固めた蓋をするのではなく、認めて謝った方が得策なのだ。
だから、アメリカには一度正式な謝罪コメントをしてもらいたい。国力が低下し世界へのプレゼンスが落ちてきている今だからこそ、謝罪することで両国は同盟国として協力し合える成熟した関係になっていくのではないか。

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2014/03/08 (Sat) 早春の近江路 その弐

先日、湖西線散策の旅をして以来、すっかり魅せられ、再び近江に行ってきた。2,3日前から冬型が強まったので、いい感じに雪景色になっているのでは……と思うと矢も盾もたまらなくなったからだ。
今回のテーマは、琵琶湖一周"乗り鉄"の旅(笑)。

朝ゆっくりめに家を出たので、京都駅には11:28に到着。
早くもお腹が空いたのと、時間節約のために、お昼は乗り継ぎの時間でホームの売店のかきあげ蕎麦をすすった。
食べ終わるや、11:45発の東海道本線新快速 敦賀行き(西回り)で、慌ただしく近江へ出発した。


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11:50 山科 → 11:55 大津京 → 12:00 比叡坂本 → 12:05 堅田 → 12:16 近江舞子 → 12:19 北小松 → 12:23 近江高島 → 12:27 安曇川


「大津京」そして「比叡坂本」を過ぎると、西にうっすらと雪化粧をした山が見える。比叡山なんだろうか。
温泉のある「雄琴(おごと)」を過ぎて電車は琵琶湖西岸北上していく。
外をしきりに眺めてるのは私くらいだった。ほかの乗客にとっては「いつもの見慣れた風景」なのだろう。私はこれから始まる琵琶湖一周の期待感に包まれていた。


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▲「比叡坂本」からの眺め


「安曇川(あどがわ)」を過ぎた。前回はここで後ろ髪引かれながらUターンした場所だ。前回より雪が降り見通しもよくない。
さらに北へ行くと、車窓から見る景色はどんどんと厳しい冬の表情になってきた。日本海からの季節風に乗って雪雲が流れ込んで比良山地も霞んでいた。

12:30 新旭 → 12:43 近江今津(車両切り離し) → 12:47 近江中庄 → 12:51 マキノ → 12:56 永原 → 13:01 近江塩津(乗り換え)

電車は、湖北エリアへと走って行く。
車窓からの眺めは徐々に雪の白さが増していった。雪の白さと湖の青さが美しい。もう少し晴れていてくれたら言うことはないのになあ。でも、グレーの雲の隙間から、時折青空も覗いて素敵な眺めだ。


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▲「新旭」付近


「近江今津」駅で、前4両と後ろ4両が切り離され、進行方向に向かって前4両のみが「敦賀」行きとなる。
この切り離しは数分で終わって、再び出発。

山が迫ってきた。電車はその間を縫うように走っていく。
いつしか雪が降り始め、風に吹きつけられるように強まってきた。こんなにも天気が違うというのは驚きだ。そういえば、天気予報でも「湖北」と「湖南」に分かれていたっけ。
外は墨絵の世界。「鷺娘」でも出てきそうな雰囲気だ。

電車は「マキノ」を通りかかった。以前から「どんなところなんやろう」とずっと気になっていた場所だ。
スキー場があるはずだけど、人気もなくレジャーな雰囲気はまったくない。むしろ幽玄そのものだった。


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▲なぜか、カタカナの地名の「マキノ」


路線図(湖北)
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「近江塩津」へ到着。この電車は福井方面「敦賀」行きのため、ここで降りることに。
雪は止んでいた。
アナウンスによると、あと5分で向かい側に、琵琶湖を東回りに進む北陸本線新快速 新快速(網干行き)が来るという。
素晴らしい乗り継ぎの良さ。凍える旅人にはこんなありがたいことはないだろう。
でも、この時ばかりはダイヤの良さがちょっぴり恨めしかった。
私は僅かな乗り継ぎ時間をムダにすまいと、慌ただしく外へ。冷たい空気を一杯に吸い込むと、とても気持ちがよかった。

辺りには20センチくらい雪が積もっているが、ホームの下はスプロンクラーが回って、線路の雪を溶かしていた。こういうのは初めて見る光景だ。


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▲雪を溶かすスプリンクラー「近江塩津駅」


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▲雪に覆われたホーム

ホームの中ほどの屋根があるところだけは、ちゃんと雪が取り払われていたが、ホームの端っこは除雪されていない。そこを見つけて、「よっしゃ!」とばかり、私を含めて何人の乗客が楽しそうに歩き回った。


13:05 近江塩津 → 13:10 余呉 → 13:14 木之本 → 13:18 高月 → 13:21 河毛 → 13:24 虎姫 → 13:28 長浜


発車時刻ぎりぎりまで外で遊んでから、電車に飛び乗った。いつも通勤で神戸までの行き帰りに使っている新快速が、「こういうところから走ってきているんや」と思うと、不思議な感慨が起こった。

電車が動き出すと、いよいよ琵琶湖の最北端に到達する。ワクワク感もMaxになった。
琵琶湖の北に小さな余呉湖という湖があり、その北側にあるのが最北端の「余呉」という駅。そして余呉湖を背にして賤ヶ岳が聳えている……ハズ。
羽柴秀吉と柴田勝家が信長亡き後の事実上の後継者争いのための戦いで戦場となった山だ。雪雲でよく見えなかったのがちょっぴり残念だった。
一面の銀世界で降りるのは諦め、わずかな停車時間で写真だけ撮った。


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▲「余呉」駅から南側を臨む


この写真、木々の植え込み辺りに余呉湖の湖面が広がっていて、その背景にはうっすらと山の稜線が見えている。多分これが賤ヶ岳だろう。

余呉湖を回って「木之本」を過ぎ、琵琶湖の東側へ差し掛かると、景色が大きく変わった。劇的と言ってもよかった。
雪の降った形跡はあるものの、溶けているところが多く、何より温かい日差しがあった。
立ち並んでいろのは民家だけではない。工場もある。「経済」が回っているなあ、ということを感じさせる地域が湖東に広がっていた。
少し湖を東に回りこんだだけなのに、こんなにも天気や雰囲気が変わるものなのか。


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▲左は「木之本」辺り 右は「虎姫」に向かう車中から撮影


そして、秀吉が開いた城下町「長浜」へ到着。ここで電車を降りることにした。

北近江の強敵、浅井、朝倉との戦いに勝った信長は、北近江の地を秀吉に与えた。
この戦いでは浅井家に嫁いでいた信長の妹のお市が3人の娘とともに救い出された。のちにお市は柴田勝家と北ノ庄で果てるが娘たちはその後の歴史にさまざまにかかわっていく……。そんな歴史のロマンが脳裏を過った。


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▲長浜城


秀吉は新しく琵琶湖の東岸に城を築き、それまでの「今浜」という地名を「長浜」に改めた。
東には伊吹山地が連なり、その向こうには岐阜・尾張がある。西には琵琶湖、そして比叡山の先には目指すべき京の都がある。

中山道や北国街道が通る長浜は交通の要所でもあったんだろう。
中山道を東へ行くと織田家の出所である美濃方面へそして、西は京都へと繋がっている。
また、北国街道によって北陸へも繋がっている。

尾張・美濃を統一し「天下布武」を唱えて京を狙う信長が、この琵琶湖東岸に辿りつきこの地に拠点を構えた。
不思議なもので実際にその土地に立ってみると、天下統一を狙う織田家中の勢いが、五感を通してゾワゾワと伝わってくる気がする。


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▲長浜城から眺める琵琶湖


15:29 長浜 → 15:32 坂田 → 15:48 米原 → 15:53 彦根 → 16:01 能登川 → 16:07 近江八幡 → 16:13 野洲 → 16:16 守山 → 16:21 草津 → 16:24 南草津 → 16:28 石山 → 16:32 大津 → 16:37 山科 → 16:44 京都


長浜城と町の散策を楽しんでから、北陸本線 新快速(播州赤穂行)へ乗り込んで京都へ、さらに播磨の我が家へ帰宅した。
かなり長くなったので長浜での散策については、別途書くことにしたいと思う。

新快速は停車しないけど、長浜から「米原」「彦根」を過ぎ、南に下りると、今回は下りなかったが、信長が築いた安土城のある「安土」がある。

そして、近江商人が闊歩した近江八幡へ差し掛かった。
車窓からの風景は、すっかり「街」になっていた。ただ、通り過ぎた小さな駅からも数々の名刹や史跡が点在している。それを一つずつ訪れるのも悪くないな。老後の楽しみにとっておくとしよう。

結局、"乗り鉄"の旅と言いながら、乗った電車は新快速のみだったけど許してもらおう。(笑)


<関連記事>
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2014/03/01 (Sat) お雛様の手ぬぐい


部屋のタペストリーをお雛様の手ぬぐいにしてみた。
ひな人形を飾るのもいいけど、場所を取らないというのがいいかも。

kamawanu fukurabina 20140302_01ss

手ぬぐいは、かまわぬの「ふくら雛」。
ほのぼのと優しい表情のお雛様に、ほっこりした気持ちになる。
いよいよ春がやってきたね。

kamawanu fukurabina 20140302_02ss
かまわぬ「ふくら雛」

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Author:つき
普段は虎を肴に大好きなお酒を楽しむオヤジ系。かつては米(米米CLUB)を追いかけ、今でもコンサートには顔を出す。さらに歌舞伎や時代劇を愛し、手ぬぐいをコレクションし、和菓子屋やスイーツにも目がない。茶道をちょっとだけかじり、日本文化のキーワードには反応してしまう。身体を動かすことは得意でないけど、タイガースと職場の陸上チームを応援してます。

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