「よもやま日記」//身の回り出来事や心に浮かんだ独り言、お気に入りのもの、日常の風景を切り取った写真などなど、思いつくままに書いてます。

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2003/02/18 (Tue) 大根はエライ

この時期の大根はどうしてこんなにおいしいんだろう?

今日は風呂ふきだった。
風呂吹き大根を煮ると、部屋中に大根のえも言われぬ香りが漂う。
これが、まったく嫌味がない。
さわやかさと甘さがあいまった不思議な香り…。
これにお味噌をつけて食べると、も~う幸せ!!

大根は変幻自在だ。
おろすとピリリと辛味の効いたイカす奴だし、煮るとやわらくて独特の香りと旨みがある。
生のときのしっとりとした冷たい質感は、煮るとほくほくとして身も心も温めてくれる。
おまけにビタミンは豊富だし、ジャスターゼは胃を守る。

下手な役者を大根役者と言うけれど、一体どうしてそんな失礼なことを言うように
なったのだろう?(笑)
大根役者、大根足、、、こと大根にまつわる言い回しにはヒドイものが多い。
そんな悪口に耐えて、今日も大根は私たちの胃袋を温めてくれるのだ。
大根さん、ありがとう。

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2003/02/01 (Sat) 春を待つ

この冬は我が家にとっては一大事だった。
クリスマスを目前に控え、石井竜也のART NUDE 展を楽しみにしていた時、突然父が脳内出血で倒れたのだ。

病院に駆けつけたとき父はIUCに入っていた。
酸素マスク、点滴、心電図、などなどたくさんの管がつけられて意識がなかった。
テレビでは見ていたが実際に自分の親がそんな状況になっているのを見て、痛々しくもあり、現実ではないような不思議な感じだったのを覚えている。
命の危険があることが痛いほどに感じられる光景だった。
そして、そんなときの患者と家族は木の葉よりも弱い存在だと思った。
医者や看護婦にすがりつくような思い。。。

父は左半身が動かず、口をきくことが出来なかった。
次の日も父は眠ったようにしていた。熱が高く頭全体がゆだったように赤い。
看護婦さんに「意識がないのか?」と聞くと、その看護婦はまるで叱り付けるようにいきなり大声で父の名を呼んだ。
びっくりしたように父は目を開け、おびえたような表情で必死に頭を上げようとする。
「もういいから…」
ICUの中は何もかもが非常に事務的で、看護婦さんには人をいたわる優しさが感じられなかった。
私には看護婦ではなく、拘置所の看守のようにさえ思えた。

ほとんど聞こえない声で何かを必死で訴えている父はあまりに辛そうだった。
あまりに必死に訴えかけるのでメモ帳と鉛筆を取り出すと、父はがたがたと振るえながらひどく読みにくい字を書いた。
どうやら、点滴が外れないように腕をベットにくくりつけられているのが辛いらしい。
どこが痛い、ということさえ訴えられない父はあまりにも可哀相だった。
IUCは家族といえども5分しか面会を許されない。
私たちが出て行くのを察知したように父は一生懸命何かを訴えようとした。
そんな父を残して病室を後にしなければいけなかった。
父のおでこに私のおでこをくっつけて、「また来るからね。」
というと、その瞬間、父は何とも言えない安心したような表情を見せた。

病室を出るなり母が泣き出した。
泣きながら、詰め所にいた主治医に腕のベルトを少し緩めてくれるよう頼むのが精一杯だった。
無力感で胸がつぶれそうだった。

翌日、母も私も病院へ行くのが気が重かった。
何もできないのに苦しむ父を見るのはあまりにつらかったからだ。
そうしたら、この日の看護婦さんは前日の人とは打って変わって、とても暖かく看護してくれるようだった。
父が口パクで「あの看護婦さん、やさしい」と言った。私は救われたような気がした。

手術までの数日は、母と私にとって1ヶ月にも感じられた。
その間、母は気持ちだけがどんどん先へ進むようだった。
母の心配は、父がこれから何処までどう回復するのかまったくわからないうちから、
リハビリのことや、退院後のこと、家の補修のことにまで及んだ。
考えすぎて寝られない夜が続いた。

父の手術は12月24日。クリスマスイブの日だった。
6時間におよぶ手術は無事終わりホッと一安心したけれど、すぐに新たな心配が沸き起こった。
手術さえすめば簡単に治ると思っていたのが大きな間違いだった。
1週間寝たきりで点滴だけで生きている父。毎日熱がでて顔は腫れていた。
やがて口の中がひどく荒れていることに気づいた。
初めて知ったが、食べ物を口にしないと唾液が出ずに口の中にかさぶたのようなものができるのだ。
驚いて看護婦さんに相談すると、「ああ、それは誰でもそうなるんですよ。気にしないで。」とのことだった。
しかし、とても人の口の中とは思えない。
叔母のアドバイスで、その日から脱脂綿にお茶を含ませて口の中の掃除を始めた。
そうなることが分かっているなら何故教えてくれないのだろう?
すべてが説明不足で不満がつのった。

私は会社を休ませてもらい、忘年会兼送別会もキャンセルをした。
上司の配慮で年内一杯休んでいいという許可をもらった。
年明けは大きな予定が目白押しで、ハードになるのが分かっている。
自分が取り残されていくような焦りを覚えつつ、母にそれを言うことはできなかった。

我が家はクリスマスやお正月どころではなくなった。
冬休みは家事と看病に明け暮れた。
それでも最低限の大掃除をして、小さいしめ縄を買い、黒豆と煮しめとお雑煮の準備をした。
30日になって、ふと母が「お餅、つこうか?」と言い出した。
私の顔を見ていたらそういう表情をしていたらしい。
それでお餅もつき、鏡餅と丸餅を作った。
これで何とかお正月が迎えられると思った。

元旦も病院で過ごした。
父はようやく熱が引いてきていたがまだ起き上がることができなかった。
食べることができない父に母は非常に心配し苛立っていた。
ものを飲み込むということは、とてもデリケートな機能が必要なのだということが始めて分かってきた。
言葉が言えないのと飲み込むことができないのは同じ原因だった。
父は舌を動かすことが出来なかったのだ。
これは気長にやるしかないと改めて思い直した。

お正月が過ぎ、ベッドを45度起こしてもいいという許可が出た頃、何とかヨーグルトを少しだけ食べられるようになった。
ドロドロしたものはなんとか食べることができるが、水はすぐに喉に引っ掛けて咳きこんだ。

母は、ガーゼで父の舌を引っ張り始めた。
その執念にも似た母の想いが胸を打った。

冬休みが終わり私は会社へ。
土日は父の病院へ行き、家事を手伝う日が続いた。
(その土日も休日出勤することがしばしばだったが)
父は動けないのと思うように言葉が出ないイライラで時にひどく不機嫌になった。
母は看病のストレスが大きく、毎日私が帰ってくると父のことやその他いろんな話をするようになった。
私はただひたすら聞いた。

近所にとても親切な人がいて、しょっちゅう筑前煮や、おはぎや、漬物や、コロッケなど作っては持ってきてくれるようになった。
母が帰ってくると暖かい煮物を玄関に置いてくれてある。
ある日、ちゃんこ鍋を鍋ごと持ってきてくれた。
鍋のあったかさが心に染みて、思わず涙がこぼれた。
親切がこれほどありがたいと思ったことはなかった。
母も私も、その話を聞いた病床の父もただただ嬉し涙だった。

先週のある日、急に父の左足の指が動き始めた。
やがて膝が曲がるようになり、先週初めて棒に捕まって立つことができるようになった。
そのときの感激は、まるでアルプスの少女のクララのようだった。

そして、昨日はとうとう腕が動き始めた。
動き出すのは急に訪れるようで、その瞬間、顔をくしゃくしゃにして泣いていたらしい。
そして今日病院に行った私に腕を動かして見せながら、またもや父はくしゃくしゃになった。

冬の寒さの中に少しずつ春の気配が感じられる。
暖かい春風が吹くころに、ひょっとしたら我が家の雪解けも来てくれるかも知れない。

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プロフィール

つき

Author:つき
普段は虎を肴に大好きなお酒を楽しむオヤジ系。かつては米(米米CLUB)を追いかけ、今でもコンサートには顔を出す。さらに歌舞伎や時代劇を愛し、手ぬぐいをコレクションし、和菓子屋やスイーツにも目がない。茶道をちょっとだけかじり、日本文化のキーワードには反応してしまう。身体を動かすことは得意でないけど、タイガースと職場の陸上チームを応援してます。

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