「よもやま日記」//身の回り出来事や心に浮かんだ独り言、お気に入りのもの、日常の風景を切り取った写真などなど、思いつくままに書いてます。

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2002/04/29 (Mon) 「よろしかったでしょうか?」

最近、気になる言葉にこの「よろしかったでしょうか?」がある。
服を買うとき、電話をするとき、いたるところでこの言葉に出会う。実に不思議な表現だが、若い人は違和感を感じないのだろうか。

言葉の使い方が気になるというのは、年齢を取ったってことなんだろうか?(苦笑)

この言葉、使い方を誤っているのは大抵の人は気付いていることだと思う。
私はこの言葉に出会うたび、違和感を感じてしょうがない。

なぜ、「これでよろしいでしょうか?」ではなく、わざわざ「よろしかったでしょうか?」
と、過去形にするのだろう?

最近の若者ことばは、断定的な言い切りを避けて、わざと余韻を残した曖昧な使い方をする傾向はあるらしい。
「~~だ。」といわずに、「~~ていうか…。」と言葉を濁す。「~~だと思う。」と言えばいいところを、「わたし的には~」などと言い断定を避ける。
若い世代は、自己主張が強いのかと思っていたから、極めて日本人的曖昧表現を使うことに新鮮な驚きを持ったものだった。

じゃあ、この「よろしかったでしょうか?」は何だろう?
曖昧表現とは言えない。
何故、過去形にする必要があるんだろう?

「~~すればよかった。」
という言い方がある。
もっぱら後悔するときに出てくるけれど、これと関連があるような気がしてきた。

これは、「結果」を意識した言葉。
何かことが終った後でそれを振り返ってその出来事、事実を自分の価値観で評価する言葉。

してみると「よろしかったでしょうか?」は、自分の言葉、行動、配慮が相手にとって好ましい結果をもたらしたかということを聞いているのかも知れない。
そこには、「へりくだった」姿勢が感じられる。

もう一歩突っ込んで言うなら、少しおどおどしながら、相手の持っている「満足」か「不満足」か? または「好都合」か「不都合」かという「結果─答え」を聞き出そうということではないか。

「よろしいでしょうか?」
も、相手の「満足」「不満足」をたずねているには変わりないけれど、こちらは現在形なので、相手の意見を聞きながら一緒に考えるニュアンスがある。

「よろかったでしょうか?」
となると、より受身的で、解答待ち的な感じが強い。

こじつけかも知れないけれど、「考えることを教える」教育ではなく、あらかじめ用意されている「解答」にたどり着くことばかりに力を入れてきた日本の教育制度の影響なんだろうか。

それなら暗記ばかりを教えられてきた私たちの世代だって持ってる本質は同じわけだ^^
いつの時代も若者が言葉を誤った使い方へ誘導してきたけれど、特に今の若者世代は、内面に合わせて言葉を作り変えていく能力に長けているのかも知れない。

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2002/04/21 (Sun) パチンコにハマる心理

石井竜也がパチンコの機種「グラデュエーター」をプロデュースして以来、ファンの間ににわかにパチンコへの興味が高まっている。
私はパチンコはちょっと苦手。
店内の騒がしい音と、パチンコ自体比較的単調なゲームのような気がしてどうもやってみる気がしない。

ところで、今日のカウンセラー養成講座は、精神分析学から始まって様々な心理療法理論を学んだのだが、その中で懐かしいパブロフの犬実験によく似たラットを使ったものが紹介された。
レバーを押すとエサがでるとう箱にラットを入れておくと、しばらくすると自分でレバーを押すようになる。
ところが、エサが出なくなると徐々にレバーを押す行動はなくなっていく。
この時、エサを与えるということが、レバーを押させるための強制要因となるのだけれど、単に一回押したらエサが出るようにするのではなく、レバーを押させる回数をランダムにしておくと、もっともレバーを押す行動が刷り込まれやすいらしい。

この方法でエサを与えると、エサを出ないようにした後でも、ラットはいつまでもレバーを押す行動を止めないのだという。
まあ、当たり前といえば当たり前。

ここでようやく話が冒頭のパチンコに戻るのだが、……

この原理を使って最も成功したものが「パチンコ」というのだ。
つまりパチンコは生物の行動様式に合致した、非常に巧妙に考えられたゲームだそうだ。

ラットも人間も同じなのか。面白いなあ。

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2002/04/20 (Sat) お昼にヨーグルト

私の昼食は最近もっぱらヨーグルト。
ヨーグルトにシリアルやミューズリー、ドライフルーツをかけて食べる。

私がヨーグルトを食べているところを見ると、大抵の人は決まって
「え?たったそれだけ?」
「ダイエット?」
と聞いてくるが、別にダイエットをしているわけではなく、健康を考えてのことでもない。
普通の分量をお昼に食べると、午後から眠たくて仕事にならないというただそれだけ。
ミューズリーやドライフルーツが入った分、歯ごたえもあるしよく噛まなくてはいけないので結構満腹感はあるのだ。

しかし、難点はすぐにおなかがすくということか?
早いときで、14:30にはおなかがグーグー鳴り出してしまう。
だから、おやつは欠かせない(爆)。

健康のためではなかったけど、やはりヨーグルトはおなかにはいいみたいだ。
2週間、3週間と経っていくと腸内細菌事情が改善しているような実感はある。確かにある。
ヨーグルトは腸にとてもいいことを身を以て実証している今日この頃だ。

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2002/04/07 (Sun) 産業カウンセラー講座初日

今日から養成講座がスタート。
日曜日というのに6:00起床。
平日より少し早く家を出で会場へ向った。

某大学教授の講義は大変面白かった。
ビートたけしに似ている。話し方まで。
皮肉を込めながら、人間性がにじみ出るところなんかも。

教授の話は大変幅広く、単にカウンセリングにとどまらない。
カウンセリングの手法はアメリカで確立したため、その背景となったアメリカの状況分析から始まっていく。

9月のテロの話。
イラクへの敵対。
イスラエルとの関係。
アメリカを動かしている勢力。
なぜアメリカは今戦争に突き進んで行こうとしているか……。
貿易センタービルはアメリカのペニスらしい。
「それを折られ潰されたアメリカが取る道は用意に想像がつくでしょ。」
ん~~。なるほど。

それらの話にはまったく同感だった。
しかし、ここでそのような国際情勢の話が飛び出すとはなんとも意外。

さらには歴史、そして社会学へと発展。
21世紀の社会の分析。
人々はどのような社会に生きているか。
適合できないのはどうしてか。
現代の教育の問題点。
法律とは人と人を結ぶものではなく、人と人を切るものであるという話。
政治の話。─ムネオさんから辻本さんまで─
結局切られたのはノンキャリア組で生き残ったのはいわゆるエリートと言われるグループだという偶然。
罪の暴きあいばかりで何ら建設的な議論をしない国会やマスコミの不思議。……なんて幅広い。
最後はオバチャン論まで飛び出し…(笑)
それらすべての、話題が次第に人間論へと集約されていく。

常々わたしも疑問に思い憤りさえ感じていたことだったけど、学者はさすがにものの見方が違う。
社会学的な視点から、ユニークで鋭い発想。
面白さの種類は違うものの、びゅーのMC級の面白さだった(笑)。

やがて、それらすべての話題が次第に人間論へと集約されていく。

そして、カウンセリングとは……。

白か黒かを明快に分けることのできない世界。
答えがない。
のたうちまわって、やっと「これが答えなのかな」とうものにたどり着けることができるものらしい。


講義を聴きながら久しぶりにワクワクと楽しかったけど、同時に大変な世界なんだということを実感した一日だった。

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つき

Author:つき
普段は虎を肴に大好きなお酒を楽しむオヤジ系。かつては米(米米CLUB)を追いかけ、今でもコンサートには顔を出す。さらに歌舞伎や時代劇を愛し、手ぬぐいをコレクションし、和菓子屋やスイーツにも目がない。茶道をちょっとだけかじり、日本文化のキーワードには反応してしまう。身体を動かすことは得意でないけど、タイガースと職場の陸上チームを応援してます。

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